「みる」経験のインタビュー 戸部節子さん

イラスト。2人の人が並んで腕組みをしながら話している。下にinterviewと書かれている。

このインタビューは、目の見える人、見えない人、見えにくい人、さまざまな立場の人に「みる」経験をインタビューするシリーズです。
美術を鑑賞する方法には、目で見るだけではなく、目の見える人と見えない人が一緒に言葉を交わしながら「みる」方法や、触れながら「みる」方法もあります。それぞれの経験は、記憶や経験、他者の言葉など、環境との相互作用によって変化していきます。その変化のプロセスに目を向けて、さまざまな「みる」経験をインタビューとして記録します。

 

9年前のワークショップがきっかけで美術館に通うようになった戸部さんは、同じ作品を何回も見るのが好きだと語ります。9年越しに絵のイメージが変わったり、美術館から帰ってから10日間も家族と対話が続いたり…いろんな人の言葉を聞いて絵がどんどん変わっていくことが面白いのだそうです。決して「わかった」と言い切ることをせず「わかってきかけた」と表現する姿に、強い探求心を感じます。答えのでないモヤモヤも、美術の知識を得ることもどちらも楽しむ戸部さんのインタビューからは、美術館にはいろんな方向の楽しさがあることを改めて実感します。

 

プロフィール
戸部節子さん
1952年徳島生まれ。中途失明、現在全盲。2015年に徳島県立近代美術館で開催された視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップに参加して、諦めていた美術鑑賞が対話を通せば見えなくても鑑賞ができると言うことを実感!アート鑑賞の面白さを知った。それをきっかけに、美術館のアートイベントサポーターのメンバーに入り、現在も活動を続けている。

聞き手
林建太
視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップスタッフ。1973年東京生まれ。鑑賞ワークショップでは主にナビゲータを務めている。美術や映画が好きで、そのことを語る会話の不思議さにも興味がある。

 

語る人の生活がにじんでくる

林 私が最初に徳島にワークショップに行った(※1)のが2015年でしたね。

戸部 ええ。私はそのワークショップに参加したのが最初で、アートイベントサポーターになったのはそのすぐ後だったんかな。全くそれまでは美術とは縁がなかったんです。

林 美術館に行ったのも、その頃が初めてだったんですか?

戸部 初めて。まあ、何回かはぶらっと行ったことがあるけど、見えてたときは美術館に行っても「これは写生画やな」とか「綺麗に描いとんな」っていうだけだったと思うんですよ。

林 じゃあ、美術を楽しむようになったのは、本当にここ9年ぐらいのことなんですね。

戸部 そうですね。今は美術館の行事予定を見て、できるだけ参加するようにしてます。展示解説とか、毎月2回は行ってます。

林 その展示解説は、視覚障害者向けではない、美術館で定期的にやっているものですか?

戸部 はい、一般の人と一緒に学芸員さんの解説をただ聞くだけのもんです。私達はそれにちょっと不満があって。手話通訳付きの展示解説はあって、一般のもあって、視覚障害者向けっていうんがない。一般向けの解説では、質問ができなくはないんだけど、邪魔になるから質問ができない。
それで、今年初めて「視覚障害者だけでやってくれますか」って聞いたら、引き受けてくださって行ってきました。質問ができて、色とか形とか、一般向けのときよりは詳しく答えてくれました。

林 一般向けの展示解説に比べたら、わからないところを突っ込んで聞けるんですね。
それは、会話しながら見る感じに近いと思うんですけど、そういう展示解説を聞いているときは、戸部さんの中ではどういうことが起きているんですか?

戸部 今回はそれが3回目でした。2回行ってもわからない点とかがあるので、視覚障害者だけで頼んでみたんです。
1回目は、作家本人が来て、生い立ちとかも解説してくれました。おぼろげながら理解ができたんですけど、それ以上はもう全くわからなくって。次は展示解説を聞きに行きました。一般の人と一緒で、この時もやっぱり、参加者側から声を発することはできんかったです。1回目よりはちょっと深く解説してくれたので、理解はちょっと深くなったような気がします。3回目に行ったときには、難しい言葉の意味も聞けて、より深く解説をしてくれたんですよね。自分自身では、ちょっとわかってきかけたかなーと思います。

林 聞いてるときは、色や形を思い浮かべながら聞いてる感じですか?

戸部 そうです。

林 戸部さんが見えなくなったのは中途ですか?

戸部 中途です。

林 じゃあ、見えてたときの事を材料にしながら見てる感じですか?

戸部 だけどもう見えなくなってからの方が長いんでないかなと思う。大まかには覚えてます、赤とか黄色とかっていうのはわかりますけど、この頃は色の理解もちょっと難しいかなと。

林 では見えてたときと同じように、すごくはっきり想像してるわけではないですか。

戸部 はい。

林 そうすると、必要な言葉って色とか形だけじゃないわけですよね。戸部さんは、言葉としてどういうことを聞きたいと思いますか?

戸部 まずはそれがどういう作品か。形とか色とか雰囲気とかを言葉で聞いて、おぼろげながらでも頭の中でイメージします。そこからいろんな言葉に対して、頭の中でイメージを上書きするような感じで、あっちいったり、こっちいったり。どんどん変化していくっていうんが、一番最初は面白いなと思ったんですよ。

林 はい。

戸部 見えなくなってから、美術とは余計に縁がないと思っとったんですけれど、「見えなくても、絵って見えるんだ」って最初に参加したワークショップで感動したんです。それで、その後も美術館に行きたい時には家族に連れていってもらって鑑賞してたんです。
そしたら、一緒に鑑賞したときに周りでしゃべっていた、その人たちの…なんていうんですか、生活っていうのか、気持ちっていうんかな。この人は寂しい、今までこういう生活で…というところまでもが感じられるというか。アートだけでなくて、一緒に鑑賞してきた人のいろんなことを感じるようになってくるんですよ。

林 なるほど。それは学芸員さんの言葉とは違ったってことですよね。学芸員の展示解説には学芸員さんの生活って、にじんでくるんですか?

戸部 いや、学芸員さんのは展示解説で、この絵は何年にどういうんでっていうだけ。それでは何かを得るっていうのは、私には難しかったです。

 

 

モヤモヤがずっと続く

戸部 私の楽しみ方は対話型です。見えないから、対話型っていうのも大事なんですよ。お友達何人かと頼んで、対話型鑑賞会をやってもらったこともあります。だけど、知ってる仲間とで、全く他の人とではないんですよね。

林 それは、僕らがいつもやってるように、全然知らない人と一緒にっていうのが大事だったってことですか?

戸部 そうやね。いつも一緒にいてる仲間より、もっと違う視線から見えてきたら、いろんなことが広がってくるんでないかな。

林 知らない人と一緒だと何が楽しいんですか?

戸部 境遇、生活、知識、みんなそれぞれ違うんですよね。だから、違う人とやったらまた違う。自分が思ってる作品のイメージとまた変わってくるんじゃないかなって。

林 作品が思っていたのと違うものに変化していくっていうのはどういう感じですか?

戸部 そうやね…対話を聞いていくうちにどんどん変化していくんですよね。赤って言われたら、本当の見えてるときの真っ赤を想像する。けど、影になっとるとこは赤ではない、これは紫に見える、黒に見える、茶色に…って言うてたら「こういうような感じなんかな?」ってどんどん変わっていきます。
ほんで、対話を聞いていくうちに、だんだん変わりながらでも仕上がっていきます。自分のアートっていうんですかね。完璧にはできないけど自分なりの絵が描けたっていう感じになります。

林 それは戸部さんが自分で描いたっていう感覚があるんですか?

戸部 はい。

林 なるほど…

戸部 おぼろですよ、はっきりした絵ではないんですよ。「こんなんかな?笑ってるということは楽しいんかな」とか思ってイメージしていって、何か違う言葉が出てきたら「これはまた違うんやな、おかしいな」って元に戻ったり。いったりきたりして変化していくっていう感じかな。

林 そうやって変化するから自分のものだと思えるんですかね。

戸部 自分の…そうやね。対話でいろんなものを聞いて、自分なりの絵ができる。イメージした絵が間違ってるか正しいかっていうのは自分だけにしかわからないし、自分もそれは判断できないもんね。他の人に見せたくても見えないっていうんで、どんどん描き換えていって、ほんで最後には、自分の思ったままのイメージで、こういう作品だったのかなって。

林 多数決みたいに答えを決め切っちゃうと、こうはなりませんよね。

戸部 みんなが「この絵は楽しい」って言っても、私は「やっぱり寂しい絵だ」って変えることはできます。

林 あっ、そうなんですか。

戸部 完成品になるまでは、いろんな話を聞いて、あっちフラリこっちフラリですよ。それで最後に「ああ私の絵はこういうような作品だ」っていうのにたどり着く。
そうやけど、今でも思い出したら「やっぱりあれは違かったんかな?」ってモヤモヤはずっとひきずってます。白黒ってはっきり出せるもんでないですね。だからあの、こないだ見た、ポートレートっていうんだったかな?

林 張暁剛のファミリー・ポートレイト《全家福》(※2)ですかね。

戸部 うん。9年前のワークショップのときは、みんなが「音符を描いている、壁に描いてある、みんな暗い顔してる」て言うて、そういうイメージだったのが、2月のワークショップで見て、また変わってきたかなって。

林 今回、どう変わりました?

戸部 前は、戦後の本当に暗い、極端に言えば誰かが亡くなったお葬式みたいなイメージだったんです。だけれど、今回は、暗い顔はしとるけど、ファミリーで記念写真みたいな感じで撮ってて、前にイメージしたどん底みたいなんとはちょっと違うんかな?っていう感じがしたんです。

林 なるほど、9年越しで変わることもあるんですね。ずっとモヤモヤしてるってことか。

戸部 ずーっとモヤモヤしとって、この作品は印象が強かった。お父さんとお母さんで暗い顔しとる、壁の絵も音符の記号を描いたというところまで、ばっちり思い出すことができるんです。そやけど、今回見たら、それが正しいかどうかっていうのは不安になってきました。美術館に作品があるんで、今度またお友達と行って、どんな風に感じるか鑑賞してみたいと思います。

林 そうかぁ。作品の前から離れても、家に帰っても鑑賞が続いてる感じなんですかね。

戸部 もう10日間ぐらいはモヤモヤ。その間、自分の頭の中でも作品のイメージはコロコロと変わります。家族とのやり取りもずっと続きます。ワークショップの場では時間もあるしキリがつかなくて、家に帰って「ここがわからんのやけど、どうなっとったん?」って聞けば、家族は自分の考えで答えますよね。「えー、あの人はこう言うたで」って返したら「いやそれは、あの人はそう思ったんだろうけど、自分が見たらこう思う」って。「ほな思ったんと全然違うでー」とか言うて。そんなんです。

林 そういうときのご家族の意見って、知らない人の意見とどう違うんですか?

戸部 鑑賞の仕方は色々あるんでしょうけれど、私の場合は、はじめに誰かが「鳥」って言ったら、もう鳥が頭に入ってしまって、それを中心にしてみんなの意見を聞いてイメージができてくる。家族がその後に「これは鳥ではない」って言ったら、鳥が頭に強く残ってるけど、絵は全然変わってきますよね。そんな状態で、結果は自分なりには出とっても、もう1回見たらまた変わってくると思います。

林 なるほど。ご家族かどうかより、後に聞いた人の意見が作用する感じですか。

戸部 同じ作品でも1回2回3回と見たら絵が変わっていくんが、私は面白い。

林 そうやって同じ作品を何回も見るのは、変化を楽しんでるってことなんですか?

戸部 鑑賞する人が違ったら、また感じ方も違う。お友達と行って聞いたら、「なるほど、こういうふうにも見えるんだな」って、そこでまた自分で描いてたもんが上書きされてどんどん変化していく。私は違った絵をいくつも見ていくよりは、同じのを何回も見た方が理解できて、より深く鑑賞ができるんじゃないかなと思うんです。

林 徳島県立近代美術館には、ずっとあるコレクションがいくつかありますよね。コレクションをじっくり見るのが、戸部さんにとっては楽しいやり方ですか?

戸部 はい。だけどね、見えないから美術館に行っても、前に見た絵を見つけることもできないんですよ。解説を聞いてたまたま「あ、これ前に聞いた記憶があるな」って気づいて、初めてわかること。そこから「どんなん?」って聞いて鑑賞がはじまって、またイメージがどんどん変わっていくっていう感じです。

 

 

ワークショップ中の戸部さん(中央左)

 

知識を得る楽しさ

戸部 作品を鑑賞しても、”答え”のようなものはわからないことづくしで、ただイメージだけが残ってるっていう作品が多いんですよね。せっかく見た作品の”答え”、誰それの作品でこういう画材でこういうときに描いた絵ですっていうことを最後に言うてもらうのか、そういうことは何もわからないままにモヤモヤした気持ちで残しておくのか、どっちがいいのか、私も今、迷ってるんですよね。

林 わからない状態を残しておくのも、もしかしたら大事なことかもしれないんですかね?

戸部 はい。だから…やっぱり”答え”を求めるっていう気持ちがまだ抜け切れてないんかなとは思います。ぼやっとした感動とかだけを持ち帰って、よかったなっていうのも一つかなとは思います。
だけどね、私、徳島県出身の作家って全然知らなかったけど、この前、美術館のイベントに参加して聞いていたら、この人はこういう生い立ちでこういう信念があって絵を描いてきた、この絵がこういうふうに表したと、そういうものがちょっとわかってきて、それもまた面白いなと思ったんです。

林 はい、はい。

戸部 ほんで、私が、ある絵を徳島県出身の伊原宇三郎さんの絵と勘違いしとって、学芸員さんに聞いたら「それは伊原さんの作品ではないですよ」って教えてくれたんです。これが疑問になって、伊原さんについてのレクチャーも聞きに行きました。本当は私のイメージと全然違ったんですよね。この人はヨーロッパに行ってピカソの模写をして、ピカソの画風を日本へ運んだっていうことがわかって、そういう歴史があったんやなと。みんなと鑑賞する中でもこういう知識がちょっとずつわかってきかけたっていう面白さも一つあるんです。

林 ええ。いろんな方向の楽しさがあるんですよね、きっとね。

 

 

戸部さんにとっての美術館

林 この前、そんなに美術館に来ないっていう弱視の方が初めてワークショップに参加していらして、戸部さんがその方を熱心に誘ってる様子が印象的だったんですけど、そうやって仲間を増やしていっているんですか?

戸部 体験した人なら「こんなんだから行きましょう」って言えるけど、そうでない人には面白いって言ってもどんだけ面白いかを伝えにくいんですよね。

林 仲間を増やすのはアートイベントサポーターだからというより、また一緒に見に行きましょうよ、という気持ちからですか?

戸部 そうです。あの、私、サポーターには入っていますけど、私は何をするっていうんでなく、いろんな鑑賞方法の情報を得るために参加しているみたいな感じです。ヒントを得て、私もぜひ体験してみたいって言うための。

林 でも、想像ですけど、きっと戸部さんが参加してる様子が他の人のヒントになってるんじゃないかなって思います。

戸部 私は、イベントサポーターの仲間として参加して皆と意見交換してやっていく、その輪の中に入れてくれるっていうんが、もう楽しいんですよ。いろんな知らない情報が入ってくるということが。

林 なるほど、そうか。この活動も知らない情報を得る場所なんですね。

戸部 主人がなくなってから2年、3年はもう美術館、あんまり行ってなかったんですけど。

林 ああ、そうでしたか。

戸部 本当にね、どこへ行くにも何をするにも主人にべったりだったんですよ。いなくなって美術館もこれで終わりかな、イベントサポーターも終わりかなと思ってたんですけど、学芸員さんが声をかけてくれて。続けてやってみようかなって。
そしたら「戸部さんを、ここへ送ってもらえたら介助ができるように、ヘルパーの資格とったけんな、何でも言うてよ」って言うてくれた人もいるんです。ヘルパーさんが送ってきたときは、ミーティングなら1人で椅子に座って移動もないんで、援助してくれる人も何人かはできてます。

林 へえ。

戸部 私、趣味も人のつながりもなんにもなかったんです。唯一、美術館で人と知り合い、学芸員さんとも知り合いになって、そこから藍染したり干し柿作ったりっていう活動をしてる別の場所にも行くようになって。それは人とのつながりができたからだと思うんです。

林 戸部さんにとって美術館が人とつながる場所になってるってことですよね。

戸部 私はもう、今は、美術館に行くのが楽しいです。誰も答えもわからん、自分が思うまま思っとったらいいっていう気楽さがあるのかもわからんけど、こうだろうな、ああだろうなって考えていくっていうのが楽しいんです。頭の中はモヤモヤです。答えはありません。

林 でもそれが楽しいんですね。

戸部 これが楽しみ。美術館はいろんなことを体験させてくれます。わからんこと知らないことをさせてくれるっていうんが楽しいんですよ。息抜きの一つです。美術館を私が楽しんでるっていうのはそういうことなの。

 

 

注1) 2015年10月31日(土)、11月1日(日)に徳島県立近代美術館にて開催した「美術鑑賞ワークショップ」と「見える人と見えない人がつくる鑑賞講座」

注2) 徳島県立近代美術館のコレクション。2015年と2024年2月のワークショップでは、どちらもこの作品を鑑賞している。

 

(編集:熊谷香菜子)