みて、やってみて、またみる  ~映像を先生に:「みること」と「体験」の往復記録~  

当団体スタッフの自主企画として、2024年3月末に「みて、やってみて、またみる」ワークショップを開催しました。このワークショップでは、エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ(ECフィルム)の民族誌映像アーカイブから、生活の中の手作業に関するフィルムをお借りし、映像を“先生”として、実際に参加者全員で手作業を体験しました。

このアーカイブは、1952年にドイツの国立科学映画研究所で始まったもので、約3000タイトルあります。およそ40年かけて世界各地の失われた暮らしの技法や儀礼を記録したこの貴重な資料は、日本では1970年から下中記念財団により運用され、研究者や一般の方にも貸し出しが行われています。

今回のワークショップは、映像と実体験を通じて感じたことや気づいたことを言葉にすることで、「やってみた体験がどのように『見る』を深めるのか」を探究する目的で開催しました。発端は、視覚障害者の触る体験が「触察」というモノを認知することに偏りがちな現状に対し、もう一歩ひろがった「さわる」という方向性を模索していた筆者を含む当団体のスタッフが、「観る、やってみる、問い続ける」というECフィルムの映像フィールドワークに出会ったことです。ECフィルム活用プロジェクトと当団体の協力を得て、このイベントが実現しました。

実際にやってみたメイン映像を含む3本の映像のテーマは、穀物を脱穀し、挽き、練って、食べるという時間軸。レシピなし、映像を先生に「みて、やってみた」ワークショップの現場レポートをお送りします。

ワークショップの運営スタッフ
森尾さゆり(視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップスタッフ)
井戸本将義(視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ、目の見えないナビゲーター)
芝明子(玉川学園の子ども絵画造形教室アトリエアルケミスト、講師)

当日の参加者:見える参加者3人と運営の合計6人でワークショップを開催
開催場所:東京都の玉川学園コミュニティーセンター、調理室

 

みなさんはママリガって知っていますか?ママリガはトウモロコシの粉でつくるルーマニアの郷土料理で、日本でいう白米のような存在です。粉を温めたお湯に入れて沸騰させて練るという至ってシンプルな工程ですが、音声なしの4分半の映像には思った以上に情報がたくさん秘められていて、繰り返し何度も見て参加者のそれぞれの視点をあわせながら、レシピを立ち上げていくことになりました。

 

映像をみている様子 

 

「みる」ウォーミングアップ ~キビを脱穀する無音映像をみる~

このワークショップで使用したトウモロコシ粉を含め、人間は長い間、穀物を脱穀し、粉を挽き、練って焼いて食べてきましたが、現代ではその過程を意識することはあまりありません。ワークショップでは、まずスーダンのコルドファン・マサキン族の女性たちが1963年にキビを脱穀する無音映像をみて、みたことを言葉にすることから始めました。

マサキン族がキビを脱穀する映像 ©下中記念財団

この手作業による脱穀の過程をみて、現代の効率的な生活との比較、そして自然を利用した生活スタイルなどの話で盛り上がりました。また、短い柄の箒を腰を折って使う姿をみて、日本なら長い柄にするのではないか、重いものを頭に乗せて運ぶマサキン族に対し、日本では天秤棒で担ぐ発想になるのではないかといったコメントもありました。

 

「みる」1回目 ~映像をまずみてみる~

脱穀のプロセスをみたうえで、次にメインのママリガの映像をみました。1969年に撮影されたこの4分30秒の映像では、ルーマニアのヴァデア地方の女性がキッチンでママリガをつくる様子が淡々と映されます。映像はまず牧歌的な家の周辺と思われる風景を映し、次に台所に切り替わります。

台所は白壁で、床は土間のようにみえます。真っ先にみんなの注目を集めたのは、調理スペースの床に置かれた不思議な三角形の道具。

「焼く道具?」「わかんない。なんか全然わかんない! 」「巨大な鏡餅みたいな形」

見たことも用途もわからない道具について、言葉で説明するのに苦戦します。

その後、その三角形の道具は使われず、部屋の隅に吊るされた鍋の下に直接薪を組んで火を起こします。次に、女性が鍋に入った水に白い粉を入れる場面がありました。

「塩?」「沸騰しないために入れたんですかね」「お湯がたっぷり入ったお鍋に…あ、まだ水だ」

映像からは何を入れたのかはっきりわかりません。鍋に入っている水の温度も、湯気や水面の様子から推測します。

続いていよいよトウモロコシの粉を入れはじめるのですが、そこからの展開が早く、言葉が追いつきません。鍋のお湯に何度か分けて粉を入れ、混ぜる作業が続き、あっという間に火が通り、ある程度硬くなったママリガを鍋底に固めます。低めの木のちゃぶ台に鍋を持っていくと、驚くことに鍋の中身をテーブルの上に直接ひっくり返します。

「あ!!!」「なんか、ちゃぶ台に!」「えー?」

驚く間にどんどん映像が進みます。

ママリガを糸でカットする行程のあとに、ちゃぶ台を持ち上げて移動しかけるところで映像がプツンと切れ、参加者は唖然。

「あれどうやって食べるの?あのまんま!?」「どうしたらいいの、ねぇ(笑)」「置いてかれた感・・」「ちょっとこれもう1回見ません!?」

ということで、明らかに数分の映像を1回見ただけでは、つくり方はおろか、何が行われていたのかさえ曖昧です。次は、映像を見ながら気になるところで止めることにしました。

 

ママリガの映像 ©下中記念財団

 

「みる」2回目 ~映像を止めながら、みたことをことばにする~

2回目は気になるところで止めて、映像を巻き戻しながらみました。少し余裕ができたのか、最初の牧歌的な風景に人を発見します。使うお鍋についても「吊るしている鎖は天井から下がっていて、下のフックで長さを調整してる」など、説明が加わっていきます。

「組み方が上手ですね。木の量が結構少ない」「すごい、ちゃんと火が起こってる」

鍋を炊くために火を起こす場面では、薪の組み方や量についてコメントがありました。

白い粉を入れるシーンでは、手で入れたのかスプーンで入れたのか、その粉が何なのかの推測が始まります。

「これですよ、これ!何か入れた!(笑)」「白っぽいのをさらっと入れましたよね?」「手で入れました?スプーンみたいなので入れてました?」

一瞬の映像から情報を得ようとします。

そしてふるった粉を受ける大きな木の器にも興味津々。

「縦に木を半割りにして、くり抜いてボールにしたもの。アイヌのでそっくりのを見ました」「新生児のお風呂みたい」「これ便利ですね、幅が広くて。家でやると粉まみれになるので」

しかしよくみると、ふるう前と後で、粉が一緒のところに入っていることに気づいた参加者さん。

「あれ、どういうことなんだろう?おかしくないですか!?」

確かに、これからふるう粗い粉とふるった粉が混ざっているようにみえます。普段は通り過ぎてしまいそうなことに、疑問の数も増えていきます。

火の加減や水の沸騰の様子、湯気の立ち方から鍋の中の温度を推測します。

「もう沸騰してますか?」「沸騰してるようには見えない」「湯気は出てます」

次は鍋を火から下ろして混ぜる作業。この作業は、土間の床に鍋を置いて女性が椅子に座り、鍋の両側を皮のスリッパを履いた両足で挟みながら行われます。両手で長い綿棒を使って軽々と混ぜているように一見みえますが・・

「結構大変な作業だよね」「量多いですよね」

ママリガがだんだん固まってきました。

「表面を叩いて、鍋底に固めてます」というコメントに「なにで叩いてるんですか?」と井戸本さん。

「巨大な木のスプーン。表面をならす感じ」「あ、ばんばん叩いてるわけじゃないんですね」

井戸本さんの質問に、参加者もみえる動きをさらに言葉にしていきます。

例のちゃぶ台にひっくり返すシーンが来て、その後糸で切り分けます。そして台ごと持ち上げてどこかに運ぶところで映像が終わるのですが、今回は別の点が気になった様子。

「今のちゃぶ台とか後ろに映ってた椅子もそうだけど、結構斜めってましたよ」

家具の組み立てに気づいた参加者さんがいました。

家具が気になることと、まだつくれる感覚には程遠いので、もう一回見ることにしました。

 

 

「みる」3回目 ~つくることを念頭に、ことばにする~

3回目は、つくることを念頭に置き、ホワイトボードに起きていることを書き出しながら映像をみました。

「水の量は、鍋の半分くらい」「鍋の大きさは?」「炊飯器くらいで、ちょっと浅いかな。半分は入ってる」

大きさや量の観察が詳細になります。

とはいえ、映像から量を推測し、それを言葉で伝えるのは結構難しいことに気づきます。「大さじ1?匙の大きさが分からない…れんげ?れんげ1くらい」と、共有できるサイズで表現しながら推測します。

「最初は一つかみ、粉をまんべんなく鍋の水に入れました。バサっとではなく、ちょっと手で円を描くようにして、ワーッと振り撒いた感じ」「2回目、少しずつ指の間から擦り抜ける感じに入れてる」「3回目もちょっとずつ入れてますね、かき混ぜながら」

トウモロコシの粉を鍋に入れる際の量や入れ方を言葉にします。

「この時点で湯気出てます?」

井戸本さんの質問から鍋の中の温度の話へ。

「両手で入れ始める前は出てなかった」「2回目に入れたときは、もうグツグツしてましたね」「煮立ったら火から外して、床に置いて両足で挟んで混ぜる」

「この時は、水だけの部分っていうのはもうないんですか?」「ないですね。もうねちょねちょです」

見える人と見えない人が一緒での鑑賞では、わかっているようで実は認識していない詳細に、そういえばどうなんだろう?と視点が向き、観察がより具体的になっていきます。

とはいえ、これはお料理教室の先生のように丁寧に見せる映像ではないので、慣れた手つきや速さ、ある程度の雑さがあり、実際に再現しようとするとなかなか難しそう。途中で映像がカットされているとも思われ、時間配分も鍋の中のとうもろこし粉の状態から、タイミングを測るしかありません。

「結構日常食ってこんな感じですよね、感覚でやってるんで」

そんな会話をしている間に、問題の家具の映像に至ります。

「ほら、椅子が斜め!」「すごーい、本当だ。テーブルも自然のまま、ちょっと板を乗せてましたね」「床も斜めってる。窪んでる椅子とか」

家具に目が行くと、他のことにも気づき始めます。

「壁にランプが。ろうそくかな」「まくらみたいなのもある」

最後にママリガを糸で切る部分。

「糸を下から入れて、持ち上げる」「すべらす感じで、下から入れてました」

切り方を確認し、さあ次は早速つくってみる段階です。

 

ホワイトボードに書きだした手順

 

①なべに半分の水を入れる、火にかける。なにか大匙(れんげ)1くらいの粉をいれる

②粉をふるいにかける。ひとつかみ片手で鍋に入れる。最初は手で円をかきながら入れる

 2投目は粉を少しづつ入れて、めん棒でかきまわしながら入れる

③両手で2回目入れる。ぐつぐつしていた。まぜる

④煮立ったら、なべを火から外す。床に置いて混ぜる。(やわらかすぎたのか、粉を足す)

⑤もう一度火にかける。大きい匙で平にする

⑥ちゃぶ台にどんっとなべから移す

⑦使ってた鍋に水をいれて火にかける

⑧糸で切り分ける(下から糸をそわせて)

 

「やってみる」~ことばにしたことを経験する~

映像で使用しているトウモロコシ粉の粗さが分からなかったので、今回は粗めのコーングリッツと粒子の細かいコーンフラワーの2種類を用意しました。コーングリッツの方はすこしざらざらしていて、粒が大き目。コーンフラワーは小麦粉のように細かい粉状です。6人が2チームに分かれ、ホワイトボードの手順を見ながら、それぞれにつくり比べてみることにしました。

しかし実際に始まってみると、曖昧なことだらけ。トウモロコシ粉の量が映像と比べ少ないので、水の量も少ないはずなのですが、はたしてどれくらいが正解なのか。

「これくらい?」「体積で一対一ぐらいだと思う・・」

半信半疑で火にかけます。

写真:鍋の水に塩を入れる様子

水があったまってきた時点で粉を入れ始めますが、コーンフラワーは水の吸収がとても早く、映像のようにはならないことが判明。何回かに分けていれるまでもなく、イメージしていたよりずっと早く固まってしまいます。

「早い!もう出来つつあるんですけど」

綿棒で混ぜながらも、思いもよらない早さにびっくり。

「あのー、どこを机とします?」

鍋をひっくり返す場所を探します。

グリッツチームは映像と同様、少しづつお湯に粉を入れて、途中からドバっと入れて、混ぜてみますが、こちらは逆に一向に固まりません。

「混ぜた感じ変ってます?」

手応えのない中身を混ぜながら井戸本さんが聞きます。

「まだ全然変らない、さらさらですね」

 

グリッツチーム。鍋の粉を混ぜる様子

 

水が多かったのか、粉が少なかったのか・・どんどん粉を足してみます。

「ちょっともったりしてきた」

一方フラワーチームは鍋の中身をまな板にひっくり返したいのですが、なかなか落ちません。すこし鍋を叩いてやっと落ちたと思ったら、かなり鍋底にママリガが残ってしまいました。

「これ、ちょっと柔らかすぎたかも」

もう一度ママリガを鍋に戻して火にかけてみます。

もう少し固まった時点で「じゃあ、いきます」「せーの!」

おーっと言う歓声とともに、ママリガがまな板の上にひっくり返されました。

「(鍋底への)残り方が、映像っぽい!」「水入れないと(笑)」

映像では鍋底に残ったママリガに水を入れて再度火にかけていたので、このワークショップではそれに味付けをしてスープをつくってみました。

まな板にひっくり返したママリガを糸で切ります。糸の種類も太めのタコ糸と、細い仕付け糸を用意しました。まずタコ糸で切ってみました。「おー!」下から入れた糸を交差させて引くと、ママリガがすーっと切れて行きます。

「これ、ちょっと味見していい?」「うーん、ちょっとしょっぱい」

グリッツチームはというと、いまだ混ぜている最中。

「あれ、なんか焦げ臭いにおいがしますよね?」「・・香ばしい(笑)」

こちらはIHヒーターで温めているのですが、段々それっぽくはなってきています。

「ボコって上がってきた泡が出たところをヒューって煙が出て、なんか現地っぽいですよね」

しかしまだちょっとお粥のよう。

「まだちょっとやわらかいと思う」「このままやったら、切れないですよね」

もう少し粉を足してみます。

途中でもう固まらないんじゃないかと疑惑が上がりましたが、やっと映像のような感じの硬さになるころには、入れた粉の量が600g。すべて使い切りました。

量が多くて混ぜるのが重くて大変。映像のように床に置いて足で押さえ、両手で混ぜてみることにしました。

「めっちゃ、やりやすい!」「固定されてる感がすごい」

これはやってみて、とても効率的でやりやすいことが体験からわかりました。

まな板も2枚並べて、大量のママリガをいよいよ逆さにします。鍋を逆さにしても自然には落ちません。鍋底を叩きますが、まだまだ。だいぶ叩いて、やっと半分落ちました。鍋に残った半分はまだ柔らかかったらしく、別途にバターで焼いてみることにしました。

まな板のママリガを糸で切り分けてみます。

「すごーい、気持ちよく切れてます」

細い仕付け糸の方が、切れ味がなめらか。ママリガのかたまりの下に糸を入れて、上で交差するように糸を引くと、スーっとママリガが切れていきます。これもやってみて、感覚がわかるもの。

 

ママリガを糸で切る様子

 

切り分けたママリガをお皿に盛りつけてテーブルにいくつも置くと、華やかな黄色でいっぱいになります。バターや胡椒、サワークリームなどを用意して、ママリガにつけて食べてみました。

「あ、美味しい。ホワイトペッパーつけると美味しいですよ」「サワークリームも美味しい」

ママリガ自体は味が薄いのですが、ルーマニアでは、チーズやソーセージといっしょに食べたりもするようです。

コーンフラワーとグリッツでつくったママリガを比べると、断然映像に近いのはグリッツの方。コーンフラワーはなめらかで、映像の切る様子からみてもグリッツにボロボロ感が似てるという考察もありました。

 

出来上がったママリガ。手前がコーンフラワー、奥がコーングリッツ

 

「またみる」~やってみた経験をもとに、みる~

最後に4回目、自分たちでつくって食べてみたあとに、もう一度ママリガの映像をみてみました。

すると、冒頭ママリガをつくる準備をしている女性の手に目が行きます。

「あれ、手がなんか白い」「本当だ、手が白ーい!」「これ粉をふるってたというか、何かを練ってた?」「パンつくってたのかな?」

今まで気づかなかった女性の手から、もしかしたら映像を1度に2本取ってるのかも知れないという推測が出てきました。そうこうしていると、ママリガの鍋を床に置いて、練る工程に。

「椅子座ってますね。棒は長いんだ、結構」「これって結構混ぜるの重かったですか?」「そうそう、結構重かった」「あれだけの量って重いんでしょうね、きっとね」

やってみて体感でわかった重さから、映像の女性が感じている重さが想像できます。それにしても、映像の女性は手慣れて軽々混ぜているから、大変さが見ている側には分かりません。

そして自分たちも苦労した、鍋をひっくり返してママリガを台に落とす工程。

「お鍋の底がまるいんですね」「底が丸いほうが落ちやすいのかな?角が無いですからね」

どうして映像のママリガは落ちやすかったのかを探ります。

そして、糸で切る過程をよく見てみると、自分たちでやってみたよりも、ママリガ自体がもうちょっと固そうです。

「もうちょっと固い。形状が保たれています」「片手で持って崩れないですからね」「多分見た感じ、やっぱりグリッツっぽい」

フラワーとグリッツと、粉の粗さが違うものを試してみましたが、水の吸収具合と言い、出来た感じのざらざら感といい、映像で使っていたものはグリッツに近いという結論に至りました。

 

おまけの「みる」~違う種類の「練る」をみる~

そしてその後、もう一本最後に見た映像はずばり「パン焼き」。同じ場所で同じ女性がパンをつくっている映像です。

パン焼の映像写真 ©下中記念財団

「だから手が白かったんですね!」「2本撮りだったのか」

みなさんが推測した通り、おそらくパンを1本目で収録していた可能性が高いようです。

ママリガの映像で、得体が知れずに言葉があまり出てこなかった謎の三角形の鉢のような道具。それはパン焼きに使われた模様。床に伏せられた大きな三角形の鉢をちょっと傾けた状態で、その内側の空間に火を起こします。十分熱くなった時点で灰を外によけて、成型したパン生地を入れて焼くのですが、土間の地面に、直置き。そしてその三角の鉢のような道具で蓋を閉めます。周りを灰で塞ぎ、少したって開けてみると・・・

「わー膨らんでる、すごーい!」「なかなかワイルド」美味しそうなパンが現れました。「オーブンなくてもいけるんですね。すごい、こんなに簡単」「やる?(笑)」

やっぱりやってみたくなる参加者さんでした。 

 

感想、振り返り 

映像を先生に、みて、やってみて、またみてみた今回のワークショップ。色々な感想がでました。

「映像が白黒だったから、ママリガの鮮やかな黄色に太陽のような恵み感を感じた」という方。グリッツとフラワーの違いは歴然としていましたが、「グリッツは主食に近い感じでごはんっぽい、コーンフラワーはなめらかでお菓子っぽい」という意見もありました。

つくる工程や動作に関しては、糸で切るところや鍋を足で挟んで混ぜるところが、やってみてこそわかった箇所だった様子。「みるとやるとは、大違いということを実感した」「やってみたら、糸で切ったときの感じが想像と全然違っていた」という感想や「鍋を足で挟んで混ぜるのが、すごくやりやすいというのは、やっぱり映像を見てるだけじゃわからない」というコメントもありました。

「何百回とやっているであろう体に染みついてる自然な動作や、私たちには馴染みのなかった道具たちも、本当に美しいなと感じた」という映像への感想もありました。 

今回は、日本人の私たちがルーマニアの郷土料理を見よう見まねでつくってみましたが、逆にルーマニアの人から見ると、日本のお米で釜炊きや飯盒炊爨をするようなものではないかという逆の視点もありました。また、「こだわりの解像度をどこまで上げるのか?」という話になり、火を起こしてみることや、陶器の道具もつくってみるなど、想像が膨らみました。

 

運営チームのアフタートーク

今回のワークショップでは、目の見えない井戸本さんが当団体の普段のナビゲーターの立場ではなく、参加者側としてみることややってみることに参加しました。このワークショップは、見えない人に映像を説明する会ではないということを共有してから始めましたが、映像をことばで表わしていくなかで、気づいたり分かったり疑問に思うことがひらめくこと自体が面白いような感覚、それを実際にやってみてみんなで体験すること、またその体験をことばで共有することを楽しむことができました。

今回の自主企画の運営の3人でワークショップの振り返りをしたのですが、「みてやってみる」というお手本をまねて上達することに関して、スポーツとアートの観点から面白い共通点をみつけました。その一部をお伝えします。

 

井戸本
映像を見るだけじゃなくて、実際に体験してみることで、理解できることがありますね。糸で切った感覚とか、足で鍋を押さえて混ぜる感覚とか、かき回してるときの重さや粘り具合がかわる感覚は、もうやってみないとわからない。

森尾
そうね。


日常生活の中で親や兄弟がやってたこととかを見て、やってみて覚えるみたいなことってありますよね。今検索すればすぐわかっちゃうじゃないですか。職人さんの弟子みたいな感じで見て覚えるみたいなことって、なくなってきているのかなって。言葉じゃなくて動きを見ながらとか、経験値自体がみて伝わるみたいなのってありますよね。

森尾
それで思い出したのですが、井戸本さんが以前おっしゃってたスポーツを習うときの話が面白かった。

井戸本
あ、そうそう僕テニスやるんですよ。テニスっていっても”ブラインドテニス*”なんですけど。


へー!

井戸本
スポーツ初心者とかプロが、どういうふうに上達していくかっていう話で、見える人は上手い人の動きを見てその真似をするとか、確認するっていうことをするんですけど、見えない人はどういうふうに教わるのか、という話になったんです。 

井戸本
僕は映像で真似するということはできないので、動きを言葉で細かく教えてもらったり、誰かが実際にラケットを振っている姿を触らせてもらったりもする。ラケットの動きを触りながら確認することもあるし、逆に自分で動かしてみてサポートをしてもらいながら動きを教えてもらうこともあります。どれも完璧な方法じゃないですけど、今回のワークショップにはヒントがありそうだなと思いますし、何か繋がる部分もあるかなと。

森尾
うんうん、なんかそこのあたりすごく面白いなと思って。あと芝さんがスタッフをされている子どものアトリエ教室であっても、例えば彫刻刀の使い方とかは、見えるからわかるわけじゃないんですよね。


あー、そうですね。

森尾
子どもが見てそのままできるわけじゃないし、見て理解したことが手と繋がらないとできないから、やっぱり言葉で伝える部分もあるし、「ここを見て」ってみる部分を分解するとわかることもある。


私は、わりと動作で伝えるタイプなんですよ。ちょっとここを一緒に持ってみてとか、言葉よりも多分、動き。角度とかもこのぐらいとか、その相手に触れてしまいますね。

井戸本
逆に言葉で教えてもらう方が理解しやすい人もいますよね。


そうそう。言語と映像と人それぞれ発達してる部分が違うっていうことを本で読んだことがあって。絵で捉える人と言葉で捉える人といて、私はそれがすごく気になってるんですよね。どうしてだろうと思って。 

井戸本
面白いですね。スポーツやってて思うのが、上達しようと思ったときに、多分、最終的には何か自分の中から体の動きを自分で感じて、体と対話するというか、自分がイメージした動きを実際に自分の身体で出来ているかどうかが大事になってくるんですよね。

森尾
はい。

井戸本
試行錯誤して、この感覚だったら正しく動いてるとか。でも何かの拍子に変な動きになったら違うなっていうのを、自分の身体から受け取る感覚みたいなものを大事にしてる人の方が、多分上手くなるなって思っていて。でもそれは、見えてる人でもそうなんじゃないかなと思ってるんですよね。本当に正しいかどうかはわからないけど、少なくとも映像の動きに近い動きに、どんどん近づいていくっていうところは、なんとなく似てるなって思います。

 

注釈*ブラインドテニス:視覚障害者向けに考案されたテニス。音源の入ったボールを3バウンド以内で返球する。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

みた映像

   収穫期間用のキビの脱穀/ 東アフリカスーダン コルドファンマサキン族 1963 10:00 カラー

  ヴァデアのトウモロコシ粥料理”ママリガ”/ 南東ヨーロッパ ルーマニア1969 4:30 モノクロ

  ヴァデアの焼壺によるパン焼き/ 南東ヨーロッパ ルーマニア 1969 8:00 モノクロ

 

映像の百科事典 エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ http://ecfilm.net/

 

主催:森尾さゆり・井戸本将義・芝明子
企画協力:視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ
資料提供協力:ECフィルム活用プロジェクト 公益財団法人下中記念財団