生活工房にて昭和の8ミリフィルムを語る「エトセトラの時間 見えるものと見えないものを語る会」 (2024.1.13)

東京都世田谷区にある生活工房では、昭和30~50年代に普及した8ミリフィルムのデジタル・アーカイブとして、全84巻の映像をウェブサイト「世田谷クロニクル」で公開しています。ここに収録された映像には、市井の人々による日々の出来事や昭和の風景が記録されています。

「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」では、この「世田谷クロニクル」に収録された映像を見て語るプログラム「エトセトラの時間 見えるものと見えないものを語る会」を2022年よりオンラインで開催してきました。第五回目となる会が2024年1月13日(土)に行われました。その現場レポートをお送りします。

皆さんは「路面電車」と聞いてどのようなことを思い浮かべるでしょうか。実際に日常的に利用している方、あまりなじみがないという方、住んでいる(あるいは以前住んでいた)地域に路面電車が走っていたという方。もしかしたら親や祖父母から路面電車の思い出を聞いたことがある方もいるかもしれません。

「エトセトラの時間 見えるものと見えないものを語る会」今回は「玉電(たまでん)」と呼ばれ、長年渋谷~二子玉川間を走り、昭和44年に廃線となった路面電車にまつわる映像を囲みました。参加したのはこのようなワークショップが初めてという方、何度か参加したことのある方など4名。ここに視覚障害者を含むスタッフが加わってオンラインで「消えゆく玉電」(No.65)(昭和44年、7分38秒、カラー)を見ていきます。

映像とともに公開されている、フィルムの説明には「東急電鉄の運転士が非番の日に撮影したもの」であることや、撮影されたころは「モータリゼーションの波が迫り『ジャマ電』と揶揄されていた」ことなどが書かれています。

まず映し出されるのは建物から出てきたところの制服姿の車掌さん。映像には音がついていませんが、カメラのほうに向かって何か言っているようにも見えます。「表情がニコニコしている」「勤務中だったらこんな表情はしないだろう」とか、「非番の同僚が撮っているのでつられて非番の顔が出ちゃったのでは?」「そもそも車掌なのかな?」「これから運転席に座る運転士なのではないか」などと冒頭から色々な言葉が飛び交います。

カメラは一つの車両や人物を追うわけでなく、色々な車両型の電車が走る様子や、電車越しの沿道に見える人物や建物、電車内の風景などを次々と映し出していきます。

映像の1分37秒のあたりで、ほんの数秒間アンダーパス(立体交差道路)を行きかう車の映像が差し挟まれるのですが、この数秒のカットからも話が膨らみます。「ここだけ電車写っていない」「なぜこのカットを入れたんだろう」「車が主役の時代になったっていう象徴」「環状線とかが整備されていく時代かも。オリンピックが64年だから・・」「玉電の職員がこのカットを撮影して入れたって、どういう思いだったんだろう」

さらに、夥しい交通量の大通りの映像場面では「車が走ってる、タクシー走ってる、バスが走ってる、トラックも走ってる、あー忙しい」。その中に埋もれるように路面電車が走る様子には「肩身が狭い感じが伝わってくる」「後から来る車にお尻たたかれるみたいにして走ってるし」「真正面から対向車が走ってくるみたい、危ない」と言葉が次々と飛び交って、冒頭に読み上げられた、映像の説明の中で出てきた『ジャマ電』という言葉と、映像が参加者の言葉によって結び付いて、立体的になっていきました。

5分25秒のあたりで、それまで出てきた玉電と違ってカラフルな紙製の花で飾られた電車が登場します。この場面、参加者の一人は「ピンク色の見たことない電車が走ってきました」と言いかけるのですが、電車が近づくとそれがピンクの車体ではなく、ピンクなどの花で飾られた電車だということが判明し、「あっ、花?」同時に別の参加者からも「おおっ」っという声が上がって盛り上がりました。「見まちがい」の瞬間を共有するなんて、一緒に映像を鑑賞する醍醐味かもしれません。

後半、ゆっくりと走る花電車をちょっと上の角度から捉えた映像が続きます。その中でも沿道で見送る人に注目してみると「ジャマ電」とか言われつつも、惜しまれていたんだな、という見方も出てきます。「よかった」と感想が聞こえる一方で、「ちょっと内輪感ありますけどね」との声。地元の商店街や関係者が一生懸命「ありがとう」と盛り上げている感じから「内輪感」を感じたそうですが、その印象を「何だろう、この感じ?」と皆で掘り下げていくと「ホームビデオで我が子だけを追うみたいな感じ」「結婚式と似ている距離感。関係者は盛り上がってるけど、通りすがりの知らない人が見ると、何だろう?みたいな」。

それにしても、電車が花で飾り付けられ擬人化されて「長い間ありがとう」と見送る文化って何なんだろう、ということにも考えが及びました。一方で、ある参加者からは「でも花電車が最後に迎え入れられるところまでは映していないんですよね」との指摘が。確かに、玉電関係者が長年乗ってきた電車を撮っているにしては、劇的な山場もなく、感情移入するにはずいぶん淡々とした映像とも言えます。「内側にいる人は日常を最後まで続けてふっと終わることを選ぶ」という例を話してくれた参加者もいました。

撮り手の淡白な編集だからこそ、見る人の解釈が入り込む余地がたくさんあって、ちょっと写っていたもの(たとえば下り坂や傾いた電柱)やことばによって、見る側が勝手に感情移入して見てしまうこともあるね、という話も出ました。

玉電の映像を囲みながらも、撮り手や映像を見る側のことに考えが及んでいくところが、このワークショップならではの見方だなと感じた今回のエトセトラの時間でした。(スタッフ和田)

 

【鑑賞した映像】

「消え行く玉電」

撮影時期:昭和44年2月-5月11日

撮影場所:池尻大橋、桜新町、三宿、三軒茶屋など

https://ana-chro.setagaya-ldc.net/projection-room/?film=65

  東急電鉄の運転士が非番の日に撮影した廃線直前の玉電。モータリゼーションの波が迫り、「ジャマ電」と揶揄されていた頃。木造の床面。花電車には「ながい間ご利用ありがとうございました」というお礼の言葉が。白い手袋をはめた職員が、陸橋のカメラ陣に向けて車内から手を振っている。(音声なし・カラー・7分38秒)(世田谷クロニクル解説文より)

主催|公益財団法人せたがや文化財団 生活工房

企画制作|remo[NPO法人記録と表現とメディアのための組織]、視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ

後援|世田谷区、世田谷区教育委員会

 

 

古そうな画像の粗い写真。玉電の入り口のドアで車掌さんがこちらを向いて立っている。