「みる」経験のインタビュー B子さん 【後半】

家族写真のようなイメージイラスト。真ん中に椅子に座った女性が、額に入った顔写真をこちら側に向けて持っている。その周りに男女が5人立っている。

このインタビューは、目の見える人、見えない人、見えにくい人、さまざまな立場の人に「みる」経験をインタビューするシリーズです。
美術を鑑賞する方法には、目で見るだけではなく、目の見える人と見えない人が一緒に言葉を交わしながら「みる」方法や、立体作品に手で触れながら「みる」方法もあります。それぞれの経験は、記憶や経験、他者の言葉など、環境との相互作用によって変化していきます。その変化のプロセスに目を向けて、さまざまな「みる」経験をインタビューとして記録します。 

 

写真を見返すことは、それを撮った時間に思いを馳せること。インタビュー後編では、B子さんが最近経験した「写真を鑑賞したな」と感じた時のことを伺いました。写真という記録から呼び起こされた記憶によって、当時の記憶とはまた少し違った感覚になる、そんな体験のひとつひとつを丁寧に語ってくださいました。

 

プロフィール

B子さん

1982年生まれ。長野県出身。小学校卒業あたりまでは弱視。現在全盲。
元々は美術には全く興味がなかった。聞き手である林が美術館に誘ったことをきっかけに、徐々に鑑賞の楽しさを感じるようになった。昨年結婚と同時に長年暮らした東京から静岡県に引っ越した。これまでとは違う土地で初めて出会う人や価値観に触れ、新しい自分を発見する楽しさに夢中。

 

聞き手

林建太 (視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップスタッフ)

視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップスタッフ。1973年東京生まれ。鑑賞ワークショップでは主にナビゲータを務めている。美術や映画が好きで、そのことを語る会話の不思議さにも興味がある。

 

 

とある夫婦が写真を見た経験

 今度は、B子さん自身の「みる」経験について詳しく聞きたいなと思っています。先日、面白い経験があったと教えてくれた、写真を見た時のお話を伺ってもいいですか? 

B子 はい。まず、今からする話は美術館の作品としての写真ではなくて、自分の手元にある写真のことです。写真は私にとって、撮影してもあんまり自分では後で見返さないものでした。どちらかっていうと、こんなのがあったよって他の人に見せたい時とか、よっぽど記念の時に撮っておくとか、そういうものでした。

林 例えば、どういう時に撮るんですか?

B子 久しぶりに遠くの友達に会ったとか。あとは、夫がいる街に初めて来た時にも撮りましたけど、それも結局自分では見返してないですね。

林 Be My AI(※1)で読ませることもしないですか?

B子 読ませることはあるんですけど、それは写真を見返すためではなくて、整理するための情報として使っています。写っている空間の様子とかを知るために使う感じで、見返して何かを考えることはあまりしてこなかったんですよね。

林 つまり、B子さんの言う、写真を見返す時っていうのは、どういう方法で何をするんですか?

B子 私にとって見返すっていうのは、写真を見て、それを撮った時間に思いを馳せることですね。写っている物について「懐かしいな」とか「この時はお花が綺麗だったな」って思うような、感情が伴うことですかね。

林 その方法としては?

B子 AIを使うこともあるし、人と一緒に見ることもあります。でも、あんまり自分から率先してはやらなくて。

林 そもそも写真を見返すものとして、あんまり使ってないって感じですか?

B子 あくまでも誰かに情報を渡すために使うことが多いですね。

林 情報量の多さとか情報の解像度の高さの点では、写真は便利ですもんね。

B子 そう。すぐ伝わるし。なので、そういうものとして使っていたんですけど。最近、「ああ、私は今、写真を見たな」って感じたことがあって。それがどういう時だったかというと、夫とフォトウエディングをしたんですね。

林 ええと、フォトウエディングってどういうものですか?

B子 いわゆる結婚式や披露宴みたいなことはしないで、私の場合はドレスや衣装を着て、1時間ひたすら写真を撮るって感じでした。家族だけを呼んで、ちゃんとした 2人の写真とか、それぞれの家族と一緒にとか、全体写真や小物のアップとかも撮ったりして。

林 なるほど。ご家族もお客さんではなくて、写る側なんですね。

B子 そうです。一緒に写ります。私は、フォトウエディングの写真は、母親が撮ってほしいって言ったから撮ったものであって、私はドレスを着て、みんなが来てくれて、みんなで写真を撮ったっていう体験があればいいって思っていました。写真はお母さんが見てくれれば、それでいいって。
でも、その写真が出来上がって、夫が「写真見る?」って聞いてくれたので、「じゃあ、一緒に見ようか」って見始めたんです。その時は、私にとっては、写真の情報を聞くっていう意識でした。

林 夫さんは晴眼者なんでしたっけ?

B子 そうです。夫は割と口数が少ないので、最初は「これは向き合って撮った時の写真」、「これは家族全体で撮った写真」って、本当に情報の部分の話をしていたんです。でも、そうやって見ているうちに「あ、これは割とちゃんとしてる写真なんだけど、僕のネクタイがちょっと曲がってる」とか、「座ってる写真で、これはちょっと服にしわが寄ってるかも」みたいなことを言ったりしてくれて。それは私には記憶にないものじゃないですか。

林 ディテールとかそういうことが?

B子 その時、夫のネクタイが曲がってたっていうのは、私は体験していない。だけど、写真にそういうちょっと完璧じゃないものが写って、記録されているのが面白いと思ったんです。

林 へえ、なるほど。 

B子 見ていくうちに、「これはあなたとお兄さんが2人で写ってる写真だよ。でも、他の人とのツーショットでは、もっと距離を狭めてる感じだけど、お兄さんとはちょっと距離があいていて、お兄さんがすごい照れてる顔してるよ」とか。

林 ふふふ。

B子 あとは、義理の姉との写真で、「これは2人で向き合って、お姉さんがあなたに何か言ってるっぽいけど、なんて言われたか覚えてる?」って聞かれたりして。ああ、そういえばいろいろ言ってくれたなって思い出したんです。私は、兄とツーショットを撮ったとか、義理の姉にいろいろ言ってもらったのは体験してるけど、例えば、ちょっと兄と距離があって、兄が照れてるとかっていう部分は、体験しててもわからないんですよね。それと、夫が「お姉さんになんて言われたか覚えてる?」って聞いてくれなかったら、そこまでは思い出さなかったかもしれない。

林 ああ、写真と夫さんの言葉によって、もしかしたら忘れちゃったかもしれないその時間に行けたんですね。

B子 ええ、そうなんですよね。夫の方も、夫と両家の母親の3人で撮った写真を「この時、自分はすごく恥ずかしくて、こんな撮影早く終わればいいのにと思ってた。両方から両家の親にがっつり固められてるのが恥ずかしかった」とか言ってて。普段涼しい顔をしてる人なんですけど、そんなこと思ってたんだ、って。夫がそうやって考えてたことは、写真に記録できない、夫の記憶の部分なんですよね。記録によって記憶とか思いを知ることができたり、記憶にないことが記録されていたりすることが面白かったです。

林 その3人の写真では、夫さんが思いを馳せて、夫さんの記憶が呼び起こされているわけですよね。B子さんもそれを聞いてると、その場面に行っている感じなんですか?

B子 そうそう、そうなんですよ。

林 あの時、隣ではそういうことが起きてたのか、って。

B子 自然にパシャってカメラに撮られてた気がするけど、実はそんなこと思ってたんですね、って。その時間に戻った感覚はあるんだけど、なんかちょっと違った感覚になるっていうか、その記憶の中とはまた別の感覚になるっていうか。

林 面白いなぁ。なんだろうそれは。

B子 あともう一つ。私の父がもう亡くなってるんですけど、私と夫が座って、私が亡くなった父の写真を持っている、一応それをスリーショットとする写真があったんです。その時の、父の写真が微妙に斜めになっていたみたいで、その微妙な角度によって、私の父が夫に「こんな結婚、認めないぞ」って言っているように見えるって、夫が言ったんですよ。
でも、私の父って全然そういうキャラじゃなくて、そういう場では割と無口な人で。私の父と一度でも会話したことがある人だったら、冗談でも、娘はやらんぞみたいな発想は出てこないんですよ。ありがちな言葉だとしても、そういうコメントが出てきたのが面白くて。

林 へえー。

B子 で、私の家族にその話をしたんですよ。夫がお父さんの写真を見て、こんなこと言ってたんだよって。兄とか兄の奥さんとは「そんなキャラじゃないのに面白いね」って、ワイワイ話せたりして。それをメールで母親に話したら、「そんなことないよ、お父さんはB子をよろしくって言っていると思うよ」って返ってきたんです。でもそれも割とありがちじゃないですか。お父さんは喜んでいると思うよ、B子をよろしくって言ってると思うよ、なんて。

林 会釈して傾いてる、みたいなね。

B子 ああ、そうなのかもしれないですね。それで、そのメールには続きがあって、「うちのお父さんはB子をよろしくって、しつこく言っていると思いますよ」と書いてあって。そのしつこくっていうのがすっごく腑に落ちちゃって。ああ、確かに私のお父さんって、普段はあまりしゃべらなくて人見知りだから、私の想像の中では、もしお父さんが生きててその場にいても、人の輪から離れてぼーっとしてそうだなって思ってたんですけど。でもよくよく考えたら、お父さんって、自分が主張したいことがあると、 もう本当に相手がドン引きするぐらいしつこく同じことを何回も言うような人で。なんか悪口のようではあるんですけど、お母さんが「お父さんはしつこく言っていると思いますよ」って言うのを読んで、あっ、お母さんってやっぱりお父さんのことをわかってるなぁって思ったんですよね。

林 なるほどねぇ。

B子 その一連のことがあったもので、私は夫とのツーショットより、そのお父さんの写真と夫とのスリーショットの方が心に残っちゃって。もっと言うと、多分、これから、私の家族が集まって、フォトウエディングの時の話になったら、私のドレスが綺麗だったねっていう話より、お父さんはきっとしつこく言ってたよねっていう話で盛り上がりそうって思っちゃいました。そういう、いろいろ考えたことによって、すごく写真を見返したな、みんなで見たなっていう感じがしたんです。

林 すごく面白いですね。後半はもはや写真を囲んでいないですもんね、みなさん。

B子 あっ、そうなんですよね。

林 写真から始まって、そこに、みなさんの写真の見方が加わって、結果的にB子さんは写真を見た感じがしている。

B子 うん、そうそう。

林 なんかすごく写真っぽい。だって、生身のお父さんが写っていたら、こういう話には多分なってないですよね。

B子 なってないですね。

 お父さんの不在を囲んでいるからっていう気がするんです。実際にいるとしたら「お父さん、この時どう思ってたの?」って聞いて、何かしら生身のコメントが聞けたかもしれないですもんね。

B子 まあ、実際のお父さんが思ってたことを口にしてくれるかはわからないですけど、でもやっぱり生身でいたとしたら、ここまで話が盛り上がらなくって、本当にしつこかったとしても、あの時はほんとしつこかったよね、で終わっちゃう。それを写真で見たとしても、ネガティブな思い出になっちゃってたんじゃないかなぁ。皮肉な話なんですけど。

林 それは本当に写真っぽいですね。すごく断片的な記録しか残ってないからこそ、お父さんのいろんな面が、みんなに呼び起こされている。

B子 そうなんですよね。それに、最初に父のことを言い出したのは夫なんですよね。会ったことないのに。

 それを、ご家族を知らない僕が見たら、そういう話には絶対なってないと思うんですよね。プライベートな家族写真に近いものだから、そういう経験が生まれている。

B子 そうですね。もしかしたらそのスリーショットで、冗談として「お父さんが娘はやらんぞって言ってるように見えるね」とか「いや、娘をよろしくって言ってるように見える」とかって意見は出てくるかもしれないけど、しつこいっていう部分は絶対出てこないですね。本人を知らないと。

林 全然知らない人が見て分かる普遍性もありつつ、他人からでは絶対に見てもわからないものが映り込んでいるっていうことですよね。

B子 私が見返したことで、写真の記録の部分と、自分の記憶がそれに絡んでいく感じが、面白いなって思ったんです。

林 面白いですね。美術館のような公共の場で起きる経験ともまた違った、パーソナルな写真をみる経験っていうのかな。

B子 とある夫婦が写真を見た経験、みたいな感じですかね。夫と2人でも見たし、家族みんなで見たなっていう感じがしています。美術の作品ではないけど、これも1つの鑑賞ですね、って思ったんです。

林 うん、紛れもない「みる」経験がそこにありますよね。

 

B子さんのインタビュー記事前編はこちらのリンクから

 

注1)Be My AIは、視覚障害者や低視力者向けの画像解説アプリ「Be My Eyes」の機能の一つ。AIがカメラで捉えた映像をテキストで説明してくれる。

(編集:熊谷香菜子)