みる「みる」経験のアーカイブ Archive of 'Seeing'Experiences

研究のアーカイブ 『映画・ドラマは視覚障害者をどのように描いてきたのか』

映画好きの永尾さんは、自身が弱視となり、映画やドラマにおける視覚障害者の描かれ方に違和感を抱いたことを機に、登場作品の年代や内容などのデータを収集し始めました 。その変遷がマジョリティのステレオタイプや社会構造を反映しているのではないかという問いから、2024年、関心が重なった「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」代表の林さんとの研究プロジェクト『映画・ドラマは視覚障害者をどのように描いてきたのか』が始まりました。 マジョリティ側の「わかりやすさ」が優先される中で、いかにステレオタイプが再生産されてきたのか。この記事では、二人の対談を通し、映像作品が映し出す社会構造や、これからの表現や発信の可能性を探ります。

●プロフィール

永尾真由 1985年福岡生まれ。 大学・大学院(修士課程退学)にて美術史を専攻。大学院在学中、視神経炎にて中途弱視となる。視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップの活動と出会い、スタッフとして関わるようになる。自身の美術史を学んできた背景を活かしながら、視覚障害当事者としてワークショップの企画運営に携わる。また、映画好きであり、映画の中に登場する視覚障害者の描かれ方の変遷を追っている。
林建太 視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップスタッフ。1973年東京生まれ。鑑賞ワークショップでは主にナビゲータを務めている。美術や映画が好きで、そのことを語る会話の不思議さにも興味がある。
森尾さゆり 視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップスタッフ。                                                                                                                                                                                                         

「なんかモヤっとする」から始まった研究


林 :ちょうど去年の今頃、収集して出来上がったデータをもとにして、映画・ドラマ体験を語り合うワークショップをやりましたけど、その後もリサーチは、続けているんですよね。

永尾:そうですね、今も映画とか出てきたら、ちょこちょこ情報を集めてます。

林 :僕も結構気にして見てるんですけど、視覚障害者が出てくる映画って最近もありますよね。

永尾:そうですね。『ラストマン』の新作も公開されたり。

林 :『鬼滅の刃』の新作にも目の見えないキャラクターが登場してるし、国内外でかなりメジャー作品の中に視覚障害者が大きい役で出てますよね。 

永尾:うんうん。

林 :そういった映画やドラマの中に出てくる視覚障害者の表象を、永尾さんは調べてるわけですけど、そもそも調べようと思いたったきっかけは何だったんですか。

永尾 :自分が目が悪くなって鍼灸の学校に通いだした頃に、動画とかドラマを見ている中で、視覚障害者が出てきたりすると、その描かれ方に違和感やモヤモヤを感じるようになったんですよね。それで、その作品のタイトルと年代、出てきた視覚障害の人がどんな人だったかというのを、メモし始めたのがきっかけだと思います。 

林 :うん。

永尾:その時すでに、視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップには、スタッフとして運営に関わっていて、2018年頃のスタッフミーティングの雑談で、今自分が興味あることとかを話す機会があって、そこで「映画とかドラマに出てくる視覚障害者で、こういうキャラクターの描かれ方がすごく気になる」みたいな話をした時に、見える、見えないに関わらず、「そういうキャラクター設定、あるあるだよね」という話が盛り上がったのが、すごく面白くて。そういうことを、他の人にあまり話したことなかったので、結構同じことを他の人も思ってるということが、自分にとっては衝撃で。こういうふうに”あるある”って言われるものを、リスト化していってたら面白いのかなと思ったのがきっかけです。

林 :ちなみに、そこでもらえた反応は、どのキャラクターのどういうあるあるだったんですか。

永尾:目が見えない代わりに、何かすごく特化した能力をもった人が描かれるとか。本当あるあるだよねみたいな。

林 :うんうん。

永尾:でもそうやって反応をもらえたのが、自分の中でも面白かったんですよね。自分がモヤッとすると思ったことは、他の人も思ってることだったり、長年それをずっと思ってる人もいたんだって気づきましたね。 

雑談から広がった映画リスト

林 :永尾さんは、映画はいつぐらいから見てたんですか。 

永尾:もう本当、保育園ぐらいの時から映画は見てましたね。

林 :目が見えなくなり始めてから、それ以前に見た作品を見ることもあったんですか。

永尾:そうですね。 多分『セント・オブ・ウーマン』とかがそうだと思いますね。見えてる時とかは、「アルパチーノかっこいい」とか思いながら。今思うと、あのアルパチーノの演技や仕草とか、目をカッと開いたような表現とか、そういう全盲の人の演じ方をしなくても良かったんじゃないかとすこし思ったりはするんですけど。当時は、そういう感じでは全然見てなかったですね。 

林 :見え方が変わった作品もあるんですね。

永尾:『座頭市』とかもそうですね。

林 :うん。

永尾:目が見えない人は、触覚とか聴覚とか他の感覚が優れているというイメージは、自分自身も思ってたんですよね。無い感覚を補うために、他の感覚が鋭くなるものなんだろうというふうに思っていたから、『蔵』とか『座頭市』とか、そういう目が見えない人がやるかっこいい動きはすごいな、というような感覚で見ていましたね。

林 :それまでは目の見えない知り合いはいたんですか。

永尾:いや、いません。

林 :見えない人のことは、そういう映画を通してしか知らなかったということですよね。

永尾:はい。知りませんでしたね。本当に盲学校とかろう学校とか、そういうところがあるっていうことを知っていただけという感じですね。

林 :そうですよね。周りにいないから、どうしても映画やドラマに出てくる視覚障害者が、イメージとして強くはなりますよね。

永尾:そうですね。

林 :でも永尾さん自身が当事者になったことで違和感を感じ始めて研究が始まったと思うんですけど、研究リサーチはどうやって進めていきましたか。

永尾:視覚障害者が出ている映画一覧のようなものは、ある程度ウィキペディアにまとめてる人がいて、そういう情報を参考にしつつ、実際自分で見たり、ネットで調べたり。スタッフミーティングで話してからは、林さんも含め他のスタッフにも教えてもらって、リストに追加していった感じですね。

林 :2020年ぐらいに永尾さんとは映画とか話題作の話はよくしてましたよね。最初は映画好きの雑談の延長でいろいろ話してたんですけど、このリスト自体が大事なアーカイブになるなと思って。ちゃんとリサーチして、公開する、つまり研究としてやっていきましょうとなった時期が、2021年か22年くらいですね。

森尾:大事なアーカイブになるというのは、どうして大事だと思ったんですか。

林 :なんでですかね。ちゃんと調べて公開した方がいいなと、思ったんですよね・・

永尾:そうですね、そういうふうに林さんに言ってもらって。あの時期特に『恋です! ~ヤンキー君と白杖ガール~』だったり、『ラストマン』とかも出てきて、最近本当多いよね、みたいな流れがあった気がします。

森尾:想像すると、永尾さんが映画を見て感じていた違和感の理由自体が、社会の構造を表しているんじゃないかと、林さんは感じたのかなと思ったんですが。

林: そうかもしれないですね。ちょうどその頃、美術鑑賞ワークショップを10年ほど続けてきて、活動や事例をちゃんと記録に残したいとって、強く思っていた時期だったんですよね。ワークショップを通して見えてくる問題は今の社会構造と深くつながっていると考えていたので、永尾さんの話を聞いて、映画の中の障害者の表象もまさに社会の構造とつながっていると感じたんですよね。多くの映画が健常者規範に基づいたイメージをつくっているという自分の実感とも重なって、これは大事な研究だと思いました。だから、永尾さんが映画のデータを積み重ねて調べ始めてるという話と、僕がそのデータから、社会構造の問題がもしかしたら見えるかもしれないという問題意識とが、多分繋がったんじゃないかな。

森尾:点が構造になっていくみたいな。

林 :うんうん。具体的な調べ方としては、永尾さんが既に進めていたリスト(*1)に、自分たちが見てきた映画の記憶を手繰り寄せて、あれもあったよね、これもあったよねみたいな話をしましたよね。

永尾:しましたね。

林 :それで、中途の全盲の岡野さんという方は今も昔もすごいたくさんの映画見られてるので協力してもらって、リストをどんどん分厚くしていきましたよね。

永尾:そうですね。本当にたくさん映画の量を見られている方だったので、すごく助かりました。結果、膨大な量の視覚障害者が出てくる映画作品があるということに、改めて驚いたんですよね。それとは別に、ろうの人が出てくる作品も、別リストで挙げてたんですけれど、数的には視覚障害者の方が多いということは感じました

林 :そうですよね。調べ始めてわかってきた感触でした。

永尾:あと『蔵』とかも、子どもの頃に見てて、目が悪くなってどん底に落ちた視覚障害の主人公が、でもそこから希望を見つけて人生変えていくとか、可哀想でも愛の力がそれを乗り越えるみたいな、ある種定番パターンも、結構刷り込まれていたという感じはありましたね。自分が実際の生活で視覚障害者と会ったりはしたことがなかったからこそ、そういうあるあるって言われるものを、かつての自分も刷り込まれていたと気づきました。

林 :あぁ。

永尾:なので、視覚障害者が出てくるその膨大な作品の中の、キャラクター、映画やドラマにはそういう背景があると思ったので、時代ごとに密度を持って見ていくと、その変遷が分かってきそうで、面白そうだなって。なにか鉱脈を見つけたような、そういう道筋を見つけた感覚はありましたね。

「どうやって生活しているのか」というリアリティライン

林 :調べてて分かったことの一つに、ネット上の記録にあがっている作品って、視覚障害者が主人公である作品しか出てなくて。サブキャラとして、ちらっと出てくる映画は、そのリストにあがってなかったんですよね。 

永尾:そうですね。私も最初メインで登場している人ばかりを集めてたんですけど、そうじゃないところにもいるという事に気づいてから、また作品タイトルがバーッと増えていったんですけど、それもまたリサーチの面白さですよね。 

林 :そうですね。例えば、『わが谷は緑なりき』でしたよね、盲目の用心棒みたいな感じで、本当にチラッとしか出てこない。あとSF映画の『コンタクト』では主人公の同僚としてチラっといたりとか。

永尾:去年(2024年)にイベントをやった時に、多くの映画ファンが見たことあるような映画であっても、「こんなところに出てましたっけ?」 となる人が多かったり。サブキャラだったりすると、よほどインパクトがないと、覚えてなかったりするんですよね。でも、そういうところにも視覚障害者っているんだって思いましたね。

林 :そのこと自体が、面白いなと思ったんです。永尾さんが言うように、インパクトがない視覚障害者もいることが。それは言い方を変えれば、消費されてないというか、物語のためにキャラクター化されてない。なんで視覚障害者としたのかもよくわからないというような、そういう視覚障害者像もあるのかっていう。だから、調べた時のリストには、メインキャラかサブキャラかっていう項目も入れようとなったんです。 

永尾:そうですね。 その登場人物がメインなのかサブなのか、男性なのか女性なのか、弱視なのか全盲なのかとか。あと、職業ですよね。

林 :あ、そうそう。永尾さんが職業を入れたいっておっしゃってたのは、それはどうしてですか。

永尾:それはやっぱり、自分自身も目が悪くなって、この人どうやって生活していくんだろうっていう、疑問というか。

林 :自分がどう暮らしていくかという疑問と、重なったということですか。

永尾:そうです、それですね。 リアリティを保つラインってあるじゃないですか。私は目が悪くなり始めた時は大学院生だったので、仕事自体はしてなかったんですけど、今後どうやって私は食べていけばいいのか?というのは、やっぱり切実なことじゃないですか。そんな時期に映画を見てて、どうやって生きているんだろう?と疑問に思ってしまう人がいると、嘘っぽいなということは思っていて。 

林 :そうですね。嘘っぽい職業だと、やっぱり自分を投影しにくいものですか。 

永尾:投影しにくいですし、今になって思うと、事務的な作業だったり、オペレーターしてたり、ある程度現実を反映している方が、いいなと思うんですよね。リアリティラインで。  私、この間『みんな、おしゃべり!』を見たんですけど、 見ました?

林 :まだ見てないです。

永尾:あの映画に出てくる聴覚障害の人は、電気店を営んでいる人とか、歯科技工士で、確かろうの方ってそういう技術職の人も多いですよね。 あともう一人の方が、障害者年金で生活しているアロハシャツを着てるおじさんだったんですよ。バラエティーを持って描かれていて、今までなかったなと思ったんですよね。
その映画の中でも、私はやっぱり、”どうやってこの人は生活しているのか” はすごく気になったんです。自分が障害を持ったことで、出来なくなってしまった職業はすごく多いじゃないですか。視覚障害者だったり、聴覚障害だったり、もちろん肢体不自由の人とかでも、この職業、本当はなりたかったけど出来ないということで、選択肢の中から消去法で、今の仕事を選んでしまってる人もいると思うんですよね。

林 :うん。

永尾:だから、職業がどのように描かれてるかは、すごく自分の中で気になるところで。障害者年金もらって、アロハシャツ着て生きてる感じはね、それはそれですごく、面白いなと思ったんですよね

林 :それは、投影できるかどうかは別として、でも生きてる感じはしたってことですよね。

永尾:そうですね。生きてる感じがしました。

「わかりやすさ」がつくる視覚障害者像

林 :職業の話でいうと、現代の視覚障害者の人って、まずパソコン使ってる人とか、スマホ使ってる人多いけど、ドラマの中には長らく、そういう人って出てこなかったですもんね。

永尾:そうなんですよ。だから私も含めてみんな、視覚障害者の人は点字ができるもんだと思ってたんですよ。

林 :そうそう。 実際の点字の識字率は10パーセント以下くらいですよね。 すごく低いのに、世間のイメージはみんな点字を使ってるもんだと。  

永尾:うん。

林 :あとそれでいうと、現実社会の実態と、映画の中の実態のデータを比べると、完全に逆転してたのが、全盲と弱視の割合。これも大きく違ってましたよね。

永尾:うん、そうですね。

林 :実際の人口では、視覚障害者のうち実は約9割が弱視で全盲の方が少数派なんですよね。今回調べた映画やドラマは全部で141件なんですけど、そのうち、はっきり弱視と明言されているのは10件だけで、現実社会とは全く逆の割合なんです。映画の中では全盲のキャラクターが圧倒的に多くて、弱視のキャラクターは少ない。

永尾:そうですね。全体の中でも本当1割以下ですよね。

林 :調べて数にしてみると、偏見が映されているような気がしましたね。

森尾:それは、どうしてなんですかね。わかりやすいからですか?  

永尾:映画とかドラマだったりしたら、結局わかりやすさだとは思うんですよね。

林 :うん。 全盲の方が、出来ないことがわかりやすいですよね。 剣術の達人だったり、すごく強いとか、能力が際立って見えたり、そういう意外性と面白さが際立って加わるから、キャラクターとして作りやすいのかなという気はしますけど。

永尾:そうですね、そこだと思いますね。弱視だと、どのように見えてないのかを、画面に説明も入れないといけないから、難しいですよね。

林 :だから、本当は視覚障害者の人口の中でマジョリティなはずの弱視の存在が、見えにくくて、その理解については全然進まないですよね。

永尾:そうですね。 2011年の『ブラインド』という韓国映画を日本でリメイクした『見えない目撃者』という映画があるんですけど、そこに出てくる見えない人は強度の弱視で、少し輪郭がわかる程度なんですね。だから、その人の見え方としての画面を挟んでたりはするんですよね。そういうような画面共有を一回挟まないと、やっぱりわからないじゃないですか、見え方が。なのでやっぱり、わかりやすさだとは思うんですよね。

林 :でもその ”わかりやすさ” って、誰にとっての何がわかりやすいんですかね? だって、そういう類型ばかり増えたことによって、実際の視覚障害者像はどんどん遠のいて、わかりにくくなってますよね

永尾:確かに。

林 :今言っている、”わかりやすさ”っていうのは一体何ですかね。

永尾:映画を観るという行為自体が、基本的には目が見えている人が多くしている行為であって、その観客に向けての、視覚的なわかりやすさを提示しているものだとは思うんですよね。

林 :キャラクターとしてわかりやすいってことですか。

永尾:そうですね。目が見える観客にとって、キャラクターとしてわかりやすい、飲み込みやすいってことだと思います。

林 :それは物語としても飲み込みやすいってことですか。

永尾:物語としての展開だったり、そのキャラクターの特性を理解しやすい、把握しやすいということだと思いますね。

林 :うん。でも、そのわかりやすさって、映画館の中だけで完結してるわかりやすさですよね。

永尾:そうですね。それでいったら、ここ近年、映画やドラマをつくる上でも、その当事者が監修に入るということが増えたじゃないですか。

林 :そうですね。

永尾:それって、映画の初期のチャップリンの時代は、まずなかったことですよね。

林 :うんうん。

永尾:手話だったら、『愛していると言ってくれ』とか、手話指導の人が、方言指導者と似たような感じであったのかと思うんですけど。 当事者が制作に関わっていくことは、最近まで出てこなかったし、概念もなかったですよね。

林 :そうですね。ただ、まだモヤッとするのは、脚本家とか、監督とか、キャラクターの人格を決めるような大きな決定に、視覚障害の当事者がほとんど関わっていないだろうな、ということなんですよね。だから結局、決定権を持つ健常者がつくりたい、わかりやすいキャラクター像が先にあって、その偏ったリアリティを補強するために、当事者に「全盲の人の所作を教えてください」と頼む、という関わり方にしかなっていないんですよね。 

永尾:なるほど。

林 :だから、監修とかの仕事として制作現場に入れる障害当事者の仕事は増えてるけど、でも結局根本的な構造が本当に変わってるのかというのは、疑問ですよね。

永尾:うん。『ヘレンケラー』じゃないですけど、目の見える俳優さんが目が見えない所作をやること自体の演技の素晴らしさが注目されて、評価されるというのはありましたよね。 

林 :そうですね。視覚障害者役を晴眼者が演じた時に、作品そのものではなくて、「難しい役どころを見事に演じ切った」みたいなトンチンカンな評価をする記事とか、賞の与えられ方は、ちょいちょい見られましたよね。

永尾:ありましたね。

林 :映画の事例を調べる中で、『トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』というドキュメンタリー映画も参考にしたんですけど、この映画は、マイノリティの当事者が、マジョリティの娯楽としての映画の中で、どのように扱われてきたのかという歴史的な変遷を、当事者自身の言葉で語っていくドキュメンタリーで。今話してきたような問題は、トランスジェンダーの人たちが映画で描かれてきた歴史の中でも繰り返されていて。それを見て、僕自身、研究としてやるべきことがたくさんあるなと思いました。

永尾:マイノリティの人たちに関しては、普遍的に起きている問題があるんだろうなと、本当に思いましたね。 私も『トランスジェンダーとハリウッド』を見て、少数派の人が多数派によってどう描かれているのかということに、社会の変遷も反映されていると思ってたんですけど、やっぱりトランスジェンダーやLGBTQの人たちも、思うことがあるんだっていうのは、本当に共通するものがありますよね。 

研究を社会にひらく

林 :ここまで考えてきて、この研究の必要性って、永尾さんは何だと思いますか。

永尾:初期のチャップリンの『街の灯』から始まって、日本の中でも『座頭市』とか、過去から現在までの変遷を見てきて、本当に時代時代に”どのように視覚障害者が描かれてたか”は変ってきていて、その中で今後どのような視覚障害者が描かれるといいんだろうという展望だとか、これからのことを考えるきっかけにはなったと思うんですよね。

林 :うんうん。

永尾:林さんはどうでしたか?昨年実施した2回のイベント(*2)をやってみて。

林 :そうですね。僕は、調べた結果をみんなで話すことにすごく意義を感じましたね。データと各々のステレオタイプを比べて話したりする中で、自分の中にも偏見が刷り込まれていたこととか、そういう自分も含めた社会的な構造があぶり出されてくる感じがありました。

それはLGBTQやろう者をめぐって起きていることと同様、社会のさまざまな場所で同じように起きているのだろう、ということがわかってきて、そういう社会構造を可視化するために、すごく有効な研究だと思いましたし、ただ調べるだけではなくて、みんなでデータを「読む」という行為が、今の社会構造を見つめ直して、変えていくための研究手法として、すごく有効だなと思いましたね。

 永尾:うんうん。

林 :永尾さんはこの研究を、これからどういうふうに社会にひらいていくことができると思いますか。

永尾:映画をつくる人側に本当に届いて欲しいなって思いますね。

林 :そうですよね。

永尾:自分たちがイベントをやった時に、映画好きの方にたくさん来てもらったという印象があるんですよね。映画をたくさん観てきた人や、映画好きの人たちと一緒に話す中で、制作の関係者だったり、耳の聞こえない人、日本に暮らす海外の方だったりと、さまざまな立場の人が集まっていて。そうしたマイノリティとマイノリティを掛け合わせると、そこに共通点が生まれてくるという感じが、私はすごく面白かったんです。

林 :うん。 

永尾:映画の中に描かれているキャラクターが、実は現実とのギャップがあるんだということを、知ってもらうだけでもすごく違うと思うんです。できたら映画を制作する人たちにもこのイベントを知ってほしいし、そうした観点を踏まえた上で、また映画をつくっていったり、視覚障害者のキャラクターづくりも今までとは違う観点に目を向けたり、所作だけではなく、そのキャラクターを魅力的に描いてほしいな、というのはすごくありますね。

林 :うんうん。

永尾 :多分視覚障害者当事者を映画にキャスティングするって、耳が聞こえない俳優を当事者キャスティングするより、少しハードルは高いとは思うんですよね。

林 :そうですね、調べていても少なかったですもんね。

永尾:だからこそ、俳優さんに頼る面が大きくなるとは思うんですけど、映画は現実を映し出す鏡というか、その時代の世相を映すものでもあって、そこが面白いところだと思うんです。そういった意味も含めて、イベントで今度は映画をつくる側の人、監督だったり、そういった人たちとも話してみたいなと思います。

林 :僕も、今後どうしていきたいかをいろいろ考えて、つい先日初めて”文学フリマ”というイベントに行ったんです。聞いたことあります?

永尾:いや、聞いたことないです。

林 :たとえるなら「文学のコミケ」みたいな感じなんですけど、文学といっても、小説のような狭い意味での文学じゃなくて、人文学全体みたいな感じなんです。すごく細分化されたジャンルの批評の本だったり、セクシュアルマイノリティに関するものだったり、世の中に必要な研究や批評が、ちゃんとそこで流通しているのを見てきたんですよね。それで、イベントとして直接人と話す場も必要だけど、同時にZINEのように、手軽な文章にして広めたり、残しておけたりもする、そういう別の広め方の経路を考えてもいいかなって思ったんですよね。

永尾:そうですね。ひとつ本として形にできたらいいなと思います。ZINEとかは気負わずに出来て、すごくいいと思うんですよね。

林 :そうですか。ぜひ、今度相談しましょう。その文学フリマでもZINEを何冊か買ってきたんですよ。参考になると思って。

永尾:いいですね。まず、そういう機会や場自体が、今まであまりなかったと思うので、場もつくりつつ、紙だったり、ZINEのように形にして発信していく。できたら、目が見えない人も音声で聴けるような状態を整えたいので、ウェブ上にもあるといいですね。

林 :そうですね、十分できると思うんですよね。直接話す場も絶対に必要だし、そっと紙媒体を置いて、それを行ったり来たりするというか。永尾さんが書いた文章とか、僕たちがつくったものを提供して、みんなで話して、その記録をアーカイブとしてまた人に渡す、ということができそうですよね。

永尾:やっぱり「みる」経験のアーカイブなので、サイトに、映画に出てくる視覚障害者についての研究を置く、というのはすごくいいと思うので。

林 :そうですね、ウェブはそういう情報をずっと置いておけるというメリットがあるから、ウェブと対話の場と、紙とね。

永尾:そうそう。

林 :今度ZINEのコーナーがある書店とか、フィールドリサーチしたり、なにか具体的に考えていきたいですね。

永尾:そうですね、ぜひ考えていきましょう。


(編集 森尾さゆり)



*1 視覚障害者が登場する映画・ドラマのリスト ダウンロードはこちら 

*2 イベント概要 
[11月みんなでトーク編]
2024年11月4日(月・祝)14:00~(約2時間半)
生活工房ワークショップルームB
参加者:9名(内、視覚障害者3名)
[12月みんなでマッピング編]
2024年12月8日(日)18:30~(約2時間半)
生活工房 セミナールームAB
参加者:12名(内、視覚障害者3名/聴覚障害1名※手話通訳あり)

主催:視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ
企画協力:PINTSCOPE
助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京(芸術文化による社会支援助成)
チラシデザイン:鈴木健太
企画発案:永尾真由

記事の中に出てきた映画ドラマ

「街の灯」1931「わが谷は緑なりき」1941

「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」 1992 

「蔵」1995

「愛していると言ってくれ」1995(ドラマ)

「コンタクト」1997

「座頭市」2003

「見えない目撃者」2019

「奇跡の人 ヘレン・ケラー物語」2000

『トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして』2020

「恋です! ~ヤンキー君と白杖ガール~」2021

「ラストマン-全盲の捜査官-」2023

『みんな、おしゃべり!』2025

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