みる「みる」経験のアーカイブ Archive of 'Seeing'Experiences

「みる」経験のインタビュー

永尾真由さん 

大学院で美術史を学び、学芸員を目指していた永尾さん。大学院在学中に中途弱視となり、一度は美術から距離を置きますが、視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップのイベントに参加したことで、認識や見え方の”ズレ”があることも面白いと思えたそうです。現在は団体スタッフとして関わる永尾さんの、弱視当事者としての美術館での経験や、 ”社会の変遷” に向ける研究者の眼差しを行き来しながら、個人的な「みる経験」から、社会や美術館のあり方へと話は及びました。

●プロフィール

永尾真由さん  1985年福岡生まれ。 大学・大学院(修士課程退学)にて美術史を専攻。大学院在学中、視神経炎にて中途弱視となる。視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップの活動と出会い、スタッフとして関わるようになる。自身の美術史を学んできた背景を活かしながら、視覚障害当事者としてワークショップの企画運営に携わる。また、映画好きであり、映画の中に登場する視覚障害者の描かれ方の変遷を追っている。 聞き手 林建太 視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップスタッフ。1973年東京生まれ。鑑賞ワークショップでは主にナビゲータを務めている。美術や映画が好きで、そのことを語る会話の不思議さにも興味がある。

ワークショップとの最初の出会い

林 :永尾さんがこの視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップを知ったのはいつですか?

永尾:多分2016年くらいなので、初期のころですかね。ちょっと薄ぼんやりしているんですけど。

林 :もう初期も初期だと思いますよ。 

永尾 :一番はじめがどれか思い出せないんですけど、横浜トリエンナーレとか東京現代美術館でのワークショップだったかな。

林  :それは参加者として参加したんですよね。

永尾 :そうです、参加者としてです。 元々クライミングを一緒にやっていた方で、私が美術史をやっていたのを知ってて、こういうのがあるよって教えてもらったのがきっかけで。

林  :そうだったんですね。

永尾:はい。大学、大学院と美術史を学んでいたんですけど、常設展示の企画とか美術史の研究が主で、美術館でインターンをしたときも、教育普及の分野にはあまり興味関心がなかったんですよね。

林 :いわゆる鑑賞者が参加するプログラムというのは、あまり興味もなかったし、参加したこともなかったと。

永尾:はい、参加したこともなかったんです。歴史背景とかはすごく好きだし、学芸員さんの講演とか、展覧会のシンポジウムとか、そういうことには興味関心はすごく高かったんですけれども。もちろん美術館行った時に、ワークショップをやってるのを見かけるということはありましたけど、実際何をやってるとか、それがどういうふうな意味を持って美術館がやってるということまでは、その当時あまり興味を持ってアンテナは張っていなかった感じでしたね。

林  :その頃は、見えてた頃ですよね。

永尾 :そうですね。 2012年の大学院在学中に目を悪くしているんですけど、見えてる時には、大学院生の時に友人に誘われて、ダイアログインザダークは参加したことあるんですよね。特に積極的に交わる感じではなかったんですけど、そういうのやってるんだぐらいで終わってたって感じ。

林 :うんうん。

永尾 :それよりは、大学生とか大学院生で、就職先として美術館で働きたいっていう気持ちの方が大きかったので。

林  :それは学芸員として?

永尾:そうです。 学芸員として働きたいという気持ちが強かったですね。学術的に自分のキャリアにプラスになることをさがしてたり、そのような大学院在学中の時期に、目が悪くなったという感じでした。

林  :すでに在学中に美術館で働いていたんでしたっけ?

永尾 :インターンです。 インターンとして東京都現代美術館とか、もう少し小さい美術館とか、あとギャラリーとかでバイトしたりして、経験積んでいた頃でしたね。いい募集がないかなと探しているそんな中、目が悪くなってしまったので。大学院の方は一旦休学して、視力回復の治療に専念しました。でもなかなか視力回復が難しいとわかった時点で、盲学校の鍼灸の資格を取るという方向転換をしたり、視覚障害者の手帳を取ったりしました。 

はじめ自分が目が悪くなったこととか、本当に親しい友人ぐらいしか言えてなかったんですけれども、盲学校入って鍼灸師の資格取ろうと気持ちがチェンジできたぐらいから、また友人と連絡を取り合う中で、視覚障害者のためのパラクライミングだったり、目が悪くなってもできることを紹介されたり、お誘いがあって。その時、林さんのワークショップもたまたま知ったという感じですね。

林 :そういった鑑賞できる機会は、積極的に探してたんですか? 

永尾:いやいや、積極的には探してなくて。それこそ、本当目が悪くなってからは、一切美術館も映画館も、しばらく行ってなかったですね。

林  :そうなんだ。それは行けなかったのか、行かなかったのか……

永尾:行かなかったですね。

林 :あぁ。

永尾:はい、行かない。目が悪くなって、大学院を辞めてしばらく福岡の実家に帰ってたんですけど、その時に、自分が持っていた本とか展覧会のカタログを一切捨ててしまったんですよね。

林 :美術系の。

永尾:はい。そういうようなことは、多分もう無理なんだっていうか。ちょっと距離を置きたいという気持ちになっていたんですよね。だから、林さんのワークショップも積極的に情報を探したわけではなくて、気分が乗ったというか、ちょっと行ってみるかぐらいの気持ちでした。目が悪くなって、美術館には行ってなかったので、むしろ何ができるんだろうって思いましたよね。

”ズレ”の面白さ

林 :何ができるんだろうっていうのは、どういう体験ができるんだろうって思ったということですか

永尾
:そうそう、何ができるのかなみたいな気持ちで参加しました。

林 :はじめの感触はどうでした?

永尾:記憶がちょっと鮮明ではないのが残念なんですけど、びっくりしたのは覚えています。見えないけど、言葉を介して鑑賞するっていうのは、こういうことなのだと初めて知ったという感じでしたね。

林 :こういうことと言うのは、具体的にどういうことですか?

永尾:自分はそれまで、美術館に行って、言葉を発することもなく、目で絵画や写真を摂取して、それを視覚的に目の網膜に焼き付けて大量に絵を見ていくという見方をしてて。何というか、消費行動のようになっていたところは、すごくあったと思うんですよね。いっぱい絵を見ていくことが良いみたいな感じがあったので。 

だから、自分の無意識にあることを言語化する行為を、全くしてなかったんです。だから、自分が見ているこの状況、私は薄ぼんやりとは見えているので、それを言葉に発する行為が、一つの鑑賞のスタイルなんだ。目が見えない人が絵を鑑賞するっていうことはこういうことなんだ、みたいなことを知ったという感じですかね。

林 :うん。

永尾:自分が見ている主観的なものの見方が、必ずしも他の人の見え方とは一致しないということはわかっていたものの、それが本当にズレているんだということを、ワークショップで認識しました。

林 :面白いですね。

永尾:ワークショップでは、それがその場で同時に起こるじゃないですか。 美術学生の頃は、展覧会行ったという話を友人としても、時間差がある。基本的に一緒に見るということはあまりなかったので、こんなに認識のズレがあるということも面白いと思えるのが、自分自身にとって驚きでしたね。

林 :同じ空間にいるけど、ズレていることがわかる。

永尾:そうですね、そういう経験が初めてでした。

永尾さん(前列一番左)

林 :具体的にどういう作品を見たかとか、感触とかは覚えています? 

永尾:その時のナビゲーターの方が、皆さんが話している印象を聞いて、「それは、怖いという感じですか?」というようなことを聞いたら、人によっては「私は懐かしい感じがします」と言う人もいて。「全然違う印象が出てきましたね」というような話になって、その時に ”認識のズレって、こういうふうに出るんだ” って思ったのを覚えています。 

林 :なるほど。

永尾:あと、現代作家さんの抽象作品で、パステルの色味の話がでて、例えば暖色は暖かいとか、寒色だと冷たい印象とか、皆さんが色彩の感覚を話されている時に、色を受け取ることもできてないぐらい小さい頃に失明している全盲の方が、それってどういうことなんですか? と質問されたりして。色味で人が受ける印象について、どうしてそういう風に受け取るんだろう?という話になったのも、すごく面白いなと思いましたね。 

林 :見える人たちにとっては、色から印象を受け取ったり、それが感情に影響するというようなことは、無意識に共有されていることですもんね。

永尾:そうですね。その当時初めて林さんにご挨拶した時ですが、林さんが警戒しているような感じだったのを覚えてますね。

林 :そうなんですね。なんだろう。

永尾:美術史やっていた方なんですか?このワークショップは、美術の解説ではないんですよ、みたいな感じで。

林 :あぁ、はい。確かに始めた頃はすごく自分たちも迷っていたし、伝統的な美術史や美術館のあり方とかいろんなものを警戒していましたね。私自身が排他的な態度だったと思います。

永尾:この間、本当に久しぶりに新国立美術館のワークショップに、ナビゲーターとして関わらせてもらった時に、更にブラッシュアップされて、ワークショップの積み立て方が緻密というか、ロジックができている感じが、やっぱり前と違うなって感じました。私が参加者として参加した時って、すこし大喜利感覚じゃないですけど、この絵の印象はどうですか?という質問に、面白い見方をするのをおもしろがるみたいなことが多かったと思うんですけど、今はそういう様な感じではないなって。

林 :そう、確かにそうですね。

永尾:もちろんワークショップ後に振り返りとかはしていたんですけれど、やっぱり参加者に委ねてしまっている部分が多かったという部分はありますよね。そこが、今との大きな違いだとは思いますね

林 :うんうん。確か本当その当時は、”ズレ”というものを大事にしようと盛んに言ってたんですよね。そもそも見えている人同士でも見え方違はズレているはずだっていうことを一生懸命言っていたんだけど、その当時、美術史とか正解に近い知識というものが、そのズレを許さないものとして、すごく警戒してたんですよね。

永尾:うんうん。

林 :そういう時期でしたね。

美術と社会の変遷への興味

林 :その後、私がスタッフに誘ったんですけど、その時はどう思いました?参加者側からまたちょっと違う領域にまたぐわけですよね。

永尾:そうですね。自分がもうこれからは、美術との関わり方は美術館で鑑賞する側として、向き合っていくんだなっていうのがあったので、その時にやっぱり一人で絵を見るよりは、複数人で見た方が、今の自分の視力的には作品と近くなれる。ぼやけていた作品がよりくっきりと見えてくる感覚を得られたので、スタッフとして関われたら面白いし、自分の美術との付き合い方を見直す意味もあるなとは思いました。

林 :でも、絵をそうやって楽しむことは、参加者としてでも得られるじゃないですか。

永尾:絵を楽しむことは、もちろんできると思うんですよ、参加者として。でもなんか、この取り組みがどう変化していくのか見てみたいなっていう気持ちもあったと思います。

林 :へー、それはどういう興味ですか?

永尾:何かこう・・好きなんでしょうね。気になっちゃうみたいな。トリエンナーレとかビエンナーレとか、芸術祭もそうですけど、美術館以外で起きている活動が、どうなっていくんだろうっていう”変遷”に興味があったりして。それをまとめたり、研究するのが好きだったんですよね。私は目が悪くなったせいで、論文までたどり着かなかったんですけど、この同時代で起きている取り組みにスタッフとして関わることで、どのように今後変化・変容をしていくかを、間近でぜひ見てみたいなっていう気持ちがあったと思います。

林 :なるほど。作品だけを見ているというより、作品の周りで起こる社会的な変化とか、アートプロジェクトと言われるようなものに近い、そういった社会的な ”動き” に興味があるんですかね。

永尾:うん、そうですね。

永尾さんにとっての見方

林 :すこし永尾さんご自身の鑑賞の話を伺いたいのですが、今回の国立新美術館の「時代のプリズム展」※1も一人で下見に行かれてましたよね。あれは下見のために行たんですよね? 

永尾:時代のプリズム展に関しては、自分がちょうどそうなのですが、今の四十代の方とかちょっと上の方が、二十代の時に見てた美術で、“懐かしい”って思う作品が多いんですよ。なので、ほぼ全ての作品が、私がかつて見たことがある作品だったんですよね。なので、この展示に関しては、自分の記憶と照らし合わせるみたいな展覧会だったんです。

林 :そうなんですね。

永尾:私にとって見方っていくつかあって、自分が記憶している絵をある程度データベース的に照らし合わせてみる見方と、実際に作品と対面した時に、スマホで作品検索して出てきた写真を拡大しながら細部を見るという見方。あとはキャプションを写真で撮って、情報を補填するという見方をしますね

林 :うんうん。

永尾:だから新作だったりマイナーな作家さん、あと海外の作家さんも自分が知らない方が多いので、一人で見ると、例えば草木が緻密に描かれれば描かれるほど、私には見えづらくて、自分が見ているものがぼんやりした感じになってしまうところはありますね。

林 :永尾さんの見え方は、見えているものがぼんやりしてるんですか?

永尾:そうですね。視野自体は中心部分が欠損している状態で、周りが見えている状態です。

林 :中心がぼやけている?

永尾:中心は見えなくて、ドーナツのように真ん中がないという感じです。中心暗点なので。周囲が見えていて、つぎはぎだらけな感じで、目線をいろんなところに動かすと、なんとなく一枚の絵としてピースがはまるけど、基本的には少しぼやけた状態ではありますね。くっきり見える感じには、やっぱりならない。視力自体がそこまではないので。

マイノリティにとっての”居心地”

林 :一人で見るときは、iPhoneとかiPadとかのデバイスが必須という感じですか?

永尾:そうです。あとは単眼鏡ですね。細かい部分を見るための。美術館の中で撮影禁止の作品とかにスマホを向けると、監視員の人がやってくるっていうのが多かったりもして。単眼鏡だとそういうことはないので、トラブルというか、面倒くささを避けるためには単眼鏡の方が便利だったりします。

林 :スマホを展示室で使っていると、警戒されているなって感じますよね。

永尾:他の鑑賞者さんも、少しいぶかしげだったり。その場の雰囲気が乱れるのを感じたら、出さなかったりしますね。

林 :そうか。

永尾:居心地の悪さは、自分もやっぱり感じたくはないので。

林 :先日の「時代のプリズム展」のワークショップの時に、そういったデバイスを使いたいという方がいらっしゃったので、もちろん全然問題ないですよってお答えしました。ワークショップ中は、皆さん自然に使ってましたけど、通常まだ展示室の空気が、それを許さない感じはありますよね。

永尾:ありますね、やっぱり。

林 :美術館としては撮影OKな展覧会も増えてきましたね。

永尾:そうですね。

林 :そういう展覧会だと多少楽ですか?

永尾:うん、楽ですね。今はスマホで作品の映える写真とか、今回のプリズム展でも、写真を撮っている人がたくさんいたので、パシャパシャ撮っても全然周りも気にしないのは、すごく居心地がいい。

林 :でも、それってたまたま展示室のルールが、見える人用に写真撮影OKというものに変わっただけで、弱視の人の存在は知られてないままだと思うんですよね。

永尾:そうですね。 以前より少しずつアクセシビリティプログラムが目に付きやすくはなっている印象はもちろんありますけど、美術館や博物館で、白杖を持った人とか、白杖を使っていない目の見えにくい人がきていることに、まだ違和感を持つ人は多いんだろうなと思うんですよね。 

林 :うん。

永尾:でも、少しずつしか変わらないとは思うので。

林 :そこはすごく、じれったいですよね。

永尾:例えば、今ではスマホでキャプションのQRコードあるから、それを見れば文字情報がわかるとしても、弱視って、そもそもそのQRコードの存在に気づいていなかったりするわけなんですよ。

林 :あー、そうか。

永尾:キャプションが小さいと全然気づかない。でも、本当にあと1.5倍でもキャプションが大きいと、多分気づく人は増えると思うんですよね。 

林 :うんうん。

永尾:美術館側が情報発信したことを、弱視って気づきにくいんですよね。例えば全盲で白杖持ってる人がいたら、周りが気づくから、その人に対してアプローチはできるけど、白杖を持ってないような弱視に関しては、誰もアプローチはしないから、自分で情報を取りに行くしかない。でも、自分たちも気づかないことって多々あるので、そのすれ違いをどうしていくかというのが、課題だとは思いますね

林 :それでいうと、最近あった変化のひとつが、三菱一号館美術館。これまで一緒にワークショップや座談会を重ねてきた中で、展示室のルールに「鑑賞のためであれば、デバイスを使ってよい」という一文が加わったんですよ※2。目立たないけれど、マジョリティである美術館が変化することは、大事な一歩ですよね。

永尾:そうですよね。多分美術館に訪れてる8、9割は基本マジョリティで、1割の人にとっての ”居心地” を追求することって、美術館もそこに労力をかけにくいことであるとは思うんですけども、でもそこに意味があるということを、マジョリティこそが自覚しないといけないと思うんですよね。

積み重ねていった先に見えるもの

林 :そのマジョリティとマイノリティの話は、永尾さんが今やっている映画の研究にもつながってくると思うんですけど。

永尾:うんうん。

林 :映画やドラマの中で視覚障害者がどういうキャラクターとして描かれてきたかという、「マイノリティの表象」にまつわる研究を、永尾さんはコツコツ続けてこられてきましたが、きっかけは何だったのですか? 

永尾:やっぱり自分が目悪くなって以降、映画に登場する視覚障害者の人の設定が気になり始めたんですよね。それまで多分気づいてなかったんです。だから、そういう気になる映画をちょこちょこリストにまとめていたという感じです。 

林 :公開する当てもないけど、書き留めてはいたということですよね。

永尾:あ、そうです。

林 :それってどういう動機で?

永尾:多分、面白そうだからこれを追ってみると、何か見えてくるものがあるんじゃないかっていう気持ちはあったと思います。

林 :なんだか、そこがすごく永尾さんっぽいなと思って。このワークショップの活動に関わる時も、この活動がどう変容していくのかが面白そうだなっていうのは、すごく研究的な視点だと思うんですよね。

永尾:うん。

林 :そういう研究的な視点で関わるっていうのが、一貫してますよね。

永尾:そうですね。なんかこう、積み重ねていった先になにか見えるんじゃないかって、その当時も思ったんだと思うんですよね――やっぱりそういうことが、好きなんでしょうね。

林 :そこが、やっぱり永尾さんの変わらない部分なんですよね。

※1 新国立美術館 「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」2025年9月 3日(水) ~ 2025年12月 8日(月)リンクはこちら
※2 三菱一号館美術館「利用案内(入館者の順守事項)」第5条 (最終閲覧日:2025年12月17日) リンクはこちら

(編集 森尾さゆり)

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『映画・ドラマは視覚障害者をどのように描いてきたのか』という視点から、その変遷を追ってきた永尾さんの研究を軸に、視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップでは、2024年に誰でも参加できる対話のイベントを全2回開催しました。

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永尾さんの研究についてのインタビュー記事も現在準備中です。

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