博多のノリ
石田:「ギャラリーコンパ」っていう名前を思いついたのは、僕なんですけど、コンパなんですよ、本当に。3人がよく言うんですけど、「今回ギャラリーコンパやるけど、募集して誰も来なかっても、僕ら3人がいるから、そこで成立するよね」って。3人でアート展見て、帰ってくりゃいいんだから、っていう腹の括り方があってですね。そういうところで、本当に遊びなんですよね。失敗も成功もないというか。
林 :あぁ。
石田:茶席で一座建立※1と言いますように、座を設ける。そこに集った人々の中心にあるのが、「ギャラリーコンパ」の場合はアートであって。「対話」だとか、「触る」という手法は、その後からついてくる。そう言えば、以前、視覚障害者と美術を鑑賞する団体が全国から集められて二泊三日の合宿※2をしたことがあったんです。
林 :それは、何年頃ですか?
松尾:2008年ですね。
林 :それは、エイブル・アート・ジャパンがやっていたものですね。記録集を読みました。
石田:それが、今考えると、結構画期的な集まりで。我々ギャラリーコンパと、光島さんのいる京都のビュー※3と、関東のMAR※4、そして広瀬さん※5を始めとする日本の研究者、ミュージアムの人とかが、一斉に集まって。
林 :すると、これは2000年代に入って、ある程度こういう活動が定着して、全国にも広まった後にみんなが集まったっていう感じですかね。
石田:広まったっていうよりも、当時、市民団体としてはその3つぐらいしかなかった。
松尾:でも他の美術館の人もいたよね、少し活動していたから出てたんじゃないかな。
林 :ビューとMARとコンパさんは、継続的に続けられていたわけだから、実績はもう社会の中に一応認められた、っていうタイミングだったんじゃないですかね。
松尾:ここに集めて比べてみるっていうようなことで、研究者としても面白かったんじゃないですか。机を丸く囲んで、コーディネーターもいて、みんなが討議するような形で、発言も記録して。
林 :そこで、ギャラリーコンパさんの、遊びというか、流動的な、活動体の特徴みたいなものが、3団体の比較によって現れてきたんですか?
松尾:どちらかというと、ビューとかMARの方が先駆的だったから、私たちは、地方にあるちょっと変わったものみたいな感じだったんじゃない?
石田:今もそうだと思いますけど、九州・中国地方という地理的な問題もあってね、マイナーです。我々は特に何かやり方があったというよりも、一緒に続けていくうちに、自然にフォームが固まっていったかなっていう感じで。考えてみたら、募集人数だって、今は12人とか決めていますけど、昔の写真を見ると30〜40人ぐらいで、皆でワイワイとやってたりもして。
松尾:帰りに広瀬さんと駅まで一緒に行ったらいいじゃないって勧められて、3人と広瀬さんとで電車に乗って帰ったことを覚えてます。広瀬さんと話した方がいいんじゃない?っていう意味だったと思うんですけど。
濱田:その時に白鳥さん※6とも知り合ったのかな、確か。
林 :じゃあその時はもう白鳥さんも広瀬さんも有名な人って感じだったんですか。
松尾:私たちはあんまりよく知らなかったけども、そうだったんですよね、きっと。
石田:僕の記憶では、今のような、学芸員ならみんな知ってるなんてレベルでは全然なくて、知る人ぞ知るっていう感じですかね。まだほとんどの美術館教育の人たちが、そんなことできるの?って思ってたくらいの頃です。
松尾:そうやね、やってみるなんてことはね、考えてなかったと思う。
石田:合宿の中で、3団体がそれぞれ実際にやってみせたんですよ。それを、広瀬さんも含めて十数人の研究者が「あっ、それぞれ違うよね」っていう感じで見てたというか。
林 :その時はコンパさんはどういう風に見られたんですか?
石田:えっとね、やっぱりギャラリーコンパは「遊び」とていうか、「コンパだよね」っていうようなコメントをいただきました。正確に覚えてないんですけど、比較して「なんか博多らしいね」というか(笑)
林 :それは、ラフなノリとか、そういうことですか?
松尾:ゆるい感じ、自由な感じだね、みたいな言い方だったけども。私はそれを聞いて、「これは潰れてもらっちゃ困るからここに入れとこう」と思ったんかなと。
林 :ゆるいけど、頑張って続けてよ、みたいな。
松尾:そう、これからも続けてよ、みたいな呼びかけだったんじゃないかなと思いましたね。
石田:コンパは、さっき言ったように、一座建立っていう、そういう意味で社会包摂であり文化的処方といったケアに根差したコミュニティの創出がまずあるんです。
場がミュージアムやギャラリーであったりするけど、そこで一座建立をいろんな方と楽しくやっていくっていうことがまずあって、手段と目的が多分違っているんですね。
今回触れるよ、とか、今回触れないから見るだけね、というように手法は後からついてくるんです。そういうところがゆるさであり、ひょっとしたら続いている原因かもしれませんね。
松尾:あとは、濱田さん自身が普通の視覚障害者だって自覚してるように、普通の視覚障害者が何を求めてるかを、確実に代弁してくれるんですよ。
林 :ああ、今出たお話、二つともすごく聞きたかったことなんです。一個ずつ聞いていっていいですか。
普通の視覚障害者
林 :ビューとMARの記録を見ていくと、有名な障害当事者がいるところは団体の活動として知名度も高くて独特の進化を遂げていることが特徴的だと思うんです。
それで、やっぱり、ギャラリーコンパのギャラリーコンパらしさって、濱田さんが普通の視覚障害者でいることで保たれているのかな、という気がしていて。有名な視覚障害者になると、視覚障害者らしいことを社会に向けて言う役割を担わされることが多くなったり、メディアに出て、人々の欲望を満足させる役割に担ぎ上げられちゃったりっていう構造が昔からあると思うんですが、それがコンパさんにはないと感じているんです。
それは意図的に回避したのか、たまたまこうなったのか。先ほど濱田さんから、普通の視覚障害者っていう言葉が最初に出たので、私はハッとしたんです。濱田さんは、それを、最初から目指してたのか、頑張ってそこに留まってるのか、特に考えずにそうしているのか、どれなんですか?
濱田:うーん。僕はどっちかっていえば、普通という意識はありますけれど、今は社会に溶け込むという考え方ですかね。
本当にもうごく普通に、当たり前に、視覚障害者ですけれど、「あら、ここに視覚障害者がいたんだな」という感覚で社会に溶け込むというのが、僕の人生観というか考え方。それと、ギャラリーコンパでは、あくまでも僕は空気づくりの人間であろうと思っています。
林 :そうですか、空気づくりの。
濱田:ギャラリーコンパ全体の空気を作りたいなと。自分はそれにできるだけ徹していった方がいいんじゃないかなと思っています。僕には、芸術的な才能もあるわけではありませんし、研究とかすごいことを考えているのでもありません。特別なことをやろうという野心がないわけじゃないけど、まあそんなこともありませんので、ギャラリーコンパ全体の空気を作りたいなと、もうこれ一本で、いいんじゃないかなと思って、関わってます。
林 :なるほど。空気を作るっていうのはとても繊細なことだと思うんですけど、例えば何をすればそれができるんですか?
濱田:まず楽しくやろうや、と。それと、僕が意識してるのは、自分の洋服とか帽子とか眼鏡とか、そういうのも含めた、空気を作りたいなと。形として空気も作るのも視覚障害者としては大事だろうなと思って、それも意識してます。
ギャラリーコンパをしてるのに「なんだお前そんな格好しとって」って思われたくもないので、できるだけ、視覚障害者だけれど、「あ、なんかおしゃれで素敵な人やな」と思われたいなという、変な欲もありますし。
松尾:身だしなみを整えるとかって、空気って言われたら空気かもしれませんね。障害者でも、職場でジャージ着るのはどうなの?とかね、ありますよ。ああ、そうだったんですね、濱田さん。だから帽子をあんなにいっぱい持ってるんですね。
濱田:そういうのも一つのきっかけじゃないかなと思って。僕、よく街を歩いてるんですけれど、ちゃんとした格好で、自分なりに素敵に整えとると、いろんな人がよく声をかけてくれるようになったなと。時代も変わったとは思いますけれど、そういうことが大事なんだな、自分の空気があるんだなと、近頃なんとなくわかってきたというか。
昔の若い頃はとにかくもうがむしゃらで、負けてたまるかで歩いてましたし、頭もコチンコチンでしたので、とても人が寄り付くという空気でもなかったし、時に声をかけられても、こっちの言葉で言えば「せからしかー(うるさいなあ)」っちゅう感じでしたしね。
まあ年齢もあるんですけれど、今はそういうこともうまく受け入れて、街の中でもなるべくできるだけ楽しく歩こうなと思って意識したりもしてます。
林 :なるほど。コンパの3人の中では、明確な役割というよりも、その時その時を楽しむっていうことの方が大事じなんですかね。今のお話、松尾さんは初めて聞かれたんですか?
松尾:空気っていう言葉は今まで聞いたことがなかったです。確かに、濱田さんって本当に一人であちこち歩かれて、いろんなお店に行って、帽子を選ぶとか、コーヒーを飲みに行ったとか、遠くまで出かけたりされるんですけども、そのことを割とギャラリーコンパの会の中も話してるような気がしてて。視覚障害者はこうあったら楽しいよね、みたいなことを伝えてる気がするんですよね、今思えばね。そうだったんですね、濱田さん。
濱田:まあ、そういうことも含めたものもないわけもないのかなと、まあ、意識しすぎない程度に、自分なりのスタンスで、社会に関わっていけたらなというぐらいでしょうかね。
林 :3人でそうしようって決めているわけじゃなくて、自分なりのスタンスで3人が立っていられるようなバランスが自然にできているんですかね。
濱田:うん。多分石田さんは石田さんのスタンス、松尾さんには松尾さんのスタンスがあるんだろうなと。そういうことで、今まで特別ぶつかったことはありませんので、お互いにそれなりに尊重してなんとなくきたのかなという気がします。
林 :なるほど。でも3人が一緒にいられるためには、やっぱり何か目的って必要なんじゃないかなって、私は思うんですが、3人の中で明文化されている目的はあるんですか?それとも、なんとなく共有されている実感があるんですか?
濱田:どうですか? 石田さん。
石田:それこそ研究者としては、「ギャラリーコンパ」のミッションがあるということは述べたり記していたりしていても、逆にそれを3人で語り合い議論するということは、まずないですね。
で、今お話してても分かるように、濱田さんって、いつお会いしても機嫌がいい方なんですよ。機嫌がいい人といると、こっちも機嫌が良くなるというか。視覚障害者というくくりを超えて、ウェルビーイングな日々を醸している。
濱田さん、帽子を30個以上持ってるんですよね。お会いしても毎回違う帽子とファッションで。だから、ギャラリーコンパに参加する人は、皆さん一様に、濱田さんのキャラというか、おしゃれでとても楽しそうに日々生きてらっしゃる濱田さんの姿を、ギャラリーコンパの一つのカラーみたいに思ってらっしゃる。
年に何回か美術館でそういうハレの日を作る場所がギャラリーコンパだったかなという感じですね。
一座建立
石田:「ギャラリーコンパ」っていうぐらいで、我々3人はファシリテーターというよりもコンパの幹事みたいなものです。「ファシリテーター」の「ファシ」って、「ファシスト」の「ファシ」でもあって、良くも悪くもすごくリードしていく、「独善的になる」っていう使われ方もあるんですね。我々3人は、それよりも座を作って、枠組みさえできていれば、アート作品を介して勝手にグループで盛り上がっていくということを知っています。その仕組みの組み立て方が、自然と20年の間に精査されてきたようにも感じます。今は美術館に方法を聞かれれば、この仕組みを提供していくと、どのグループでも、花が咲いていくように一座建立が起こってきて、それぞれが思い思いの場づくりを共に築かれていかれますよ、と伝えています。
その時に濱田さんっていう、機嫌良く、なんだか嬉しそうな様子で、面白そうなおじさんが毎回そこにいる。そうすると、濱田さんに会いに来たとか、すごく自然な形で、座が動いていく。そうした座の中心に濱田さんがいるっていうのはあると思います。
林 :今の話は、濱田さんだから視覚障害が際立たずに柔軟に溶け込んでそこにいられるのかなという気がするんですが、例えば、視覚障害者の参加者が来た時に、みんなニコニコ機嫌よくできないじゃないですか。その人はそこに立たされちゃうことが苦しくならないかなってちょっと思ったんですが、どうなんでしょうか?
石田:苦しくなるとは?
林 :機嫌よくしてなきゃいけないっていう風に。
石田:違います、違います。機嫌よくする役割を参加者の人に求めてるわけでも何でもなくて、なんだか機嫌の良さそうな視覚障害者のファシリテーターが現場にいて、もてなしていく。そこから、視覚障害者の参加者の方々がそこに居合わせることの気楽さ、場の気持ちの良さが伝わっていくんです。そうした空気がものすごく苦手な人って、まずいないと思うんですよ。
晴眼者と視覚に障害を持ってる方という、自分が持ってる属性が互いに個性を生かし響き合う、座の構造がそこにあるんですね。お茶会の席で主人と客がいて、主人がいなければ客も客ではいられないのと同じように、ここでの体験は、互いがいないと成立しない座である。
松尾:そうですね。濱田さんの役割は、ギャラリーコンパの私たち3人の中で、誰かが機嫌がいい人だったらいいんですよ。それが今、私たちの中では一番機嫌がいいのは濱田さん、という意味だと思います。
それで、よくあるのは、グループを作る時に、濱田さんのグループ、私のグループ、石田さんのグループと分ける。濱田さんのグループは濱田さんがリードして、もうそこに機嫌がいい人がいて、そして濱田さんは視覚障害者でもあるから、ここはもうどんどん進んでいく。
濱田さんがわからないところを質問することで、グループが脱線しないようにしていって、皆さんの発言がすごくよかったら、「あ、自分の頭の中でできてきました、見えてきました!」みたいな感じで発言すると、そこで完結みたいな形で次の絵に移っていく。
で、石田さんや私のところでは、視覚障害者の方はポンと初めに投げ込まれて、ギャラリーコンパを体験するのが初めて。
だけど、ポイントポイントで、その方がわからないと思うような部分を私たちが質問するんですね。その方の中に出来上がっていく喜びみたいなものを生むためにも私たちがいるわけだから。そこで、参加者の中に何か言いたげな方がいらしたら話を振るとか、視覚障害者の方にちょっとでも発言したそうな表情があったらそのタイミングを逃さない、とかでみんなの中に共感が生まれたと思ったらまた次の作品に移っていく。
視覚障害者のいないグループができた時には、主催者側の誰かに目隠ししてもらったこともありましたね。私たち以外の4グループ目ができた時には、事前に私たちが美術館に行って、学芸員さんに一回体験してもらう経験を作れば、その方と4グループ目も可能。と、そんな形で進んでいます。
ということで、視覚障害者の役割っていうのは、機嫌が良くなくてもできると伝えたかったんです。
濱田:見えること、見えないことに関係なく、芸術、美術すべての文化を楽しもうという、それだけのことじゃないですかね。全体の空気を作るのは私の役目とは考えてますけど、グループが分かれてしまえば、僕の存在はありませんからね。
松尾:最初にデモンストレーションをやるので、その時に空気感は伝わりますよね。
濱田:そうだと思います。はい。
林 :なるほど。
松尾:視覚障害のある方がグループの中にいらっしゃることで、言葉に努力をするんですよね、それは大事なことだと思います。
石田:「対話型鑑賞」とも比較されることがありますが、決定的に違う点があります。それは、晴眼者が視覚障害者の方と一緒に美術を鑑賞する際、グループ内の特定の誰か——例えば全盲の濱田さんなら濱田さんに——『伝えたい』という強いアフォーダンス(行為を促す誘因)※7が働くことです。
視覚芸術という、本来なら目で見るものを、どうにか言葉に変換して届けたい。この「この人へと伝えたい」「どうすればこの人へ伝えられるのか」という思いが、仕組みとして自然に発生することが何より重要なんです。それがギフトを生み出します。
そして、自分の発した言葉が相手に伝わったと実感できたとき、そのギフトは自分へと‘照り返されて’きます。そうして、お互いに贈与し合う関係が生まれる。誰かが贈ってくれたことに対して、自分も何かを返したい。そうした相互作用の中で、その場(座)全体にギフトの循環、相互自助の関係性が編み上げられていくのだと感じています。
林 :ゆるい関係が醸成されるような場ができていくということですね。私たちのやり方との違いが感じられて、とても興味深いです。
※1 “茶事や茶会に客を招く際、楽しんでもらえるようにあれこれと思いを巡らせます。人を楽しませることは、簡単なようで案外と難しいものです。いろいろ準備したもので、招いた者と招かれた客の心が通い合うと、とても心地のよい空間が生まれます。このことを茶道において「一座建立」という言葉で表現します。”裏千家ウェブサイト はじめてのお茶 より引用 引用元はこちら
※2 視覚に障害のある人とのことばによる美術鑑賞専門家会議 エイブル・アート・ジャパン主催で2008年9月に富士ゼロックス総合教育研究所スペースアルファ神戸にて開催
※3 ミュージアム・アクセス・ビュー 2002年に正式発足。京都・関西を中心に、ことばによる作品鑑賞ツアーや、作品制作など種々のワークショップの開催などを通じて、目が見えない・見えにくい人と、見える人が、共に美術を楽しむための活動を進めてきた。2022年に解散。サイトはこちら
※4 ミュージアム・アクセス・グループMAR 2000年から活動開始。エイブルアートジャパン内に事務局が設置され、東京を拠点に全国各地で、ことばによるコミュニケーションを通じて視覚障害者と晴眼者が協力して一緒に作品を見る鑑賞ツアーなどを開催した他、アクセス調査なども行っていた。現在は活動を行っていない。 サイトはこちら
※5 広瀬浩二郎さん 国立民族学博物館教授。文化人類学者であり、全盲。ユニバーサルミュージアムの実践研究者として、視覚を使わずに展示物を鑑賞するスタイルを全国に広めている。著書多数。 詳細はこちら
※6 白鳥建二さん 「全盲の美術鑑賞者」として活動。2021年「目の見えない白鳥さんとアートを見に行く」が出版された後、2022年ドキュメンタリー映画「目の見えない白鳥さん、アートを見にいく」が制作されている。
※7 アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンによって提唱された概念で、環境が持つ性質によって自然に人の行動が促される状態を指す。
(編集 熊谷香菜子)
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